師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之五

古詩三百篇。吟玩以養性情。以諷諭而爲敎。其爲體也。溫柔敦厚。平易微婉。是風雅之道。爲詩家之祖。作詩者。須以此爲法。今之作詩者。不達乎此理。雕蟲纂織。安排布置。以求巧飾爲工夫。故作詩者。反苦心氣費思慮。妨功廢事。是玩物喪志之甚者。所謂非徒無益。而又害之也。有才性而不費心力者。作之以言其志。亦可也。乏文學無材器者。不要强作。非唯寡思省事。又可以免詅癡符之謗。葢本邦土俗不通韻語。此所以拙乎詩也。

新字:古詩三百篇。吟玩以養性情。以諷諭而為教。其為体也。温柔敦厚。平易微婉。是風雅之道。為詩家之祖。作詩者。須以此為法。今之作詩者。不達乎此理。雕虫纂織。安排布置。以求巧飾為工夫。故作詩者。反苦心気費思慮。妨功廃事。是玩物喪志之甚者。所謂非徒無益。而又害之也。有才性而不費心力者。作之以言其志。亦可也。乏文学無材器者。不要強作。非唯寡思省事。又可以免詅痴符之謗。葢本邦土俗不通韻語。此所以拙乎詩也。

書き下し

古詩三百篇は、吟玩して以て性情を養ひ、諷諭を以て教へと為す。其の体為るや、温柔敦厚、平易微婉なり。是れ風雅の道にして、詩家の祖たり。詩を作る者、須らく此を以て法と為すべし。今の詩を作る者、此の理に達せず、彫虫纂織し、安排布置して、以て巧飾を求むるを工夫と為す。故に詩を作る者、反りて心気を苦しめ思慮を費やし、功を妨げ事を廃す。是れ玩物喪志の甚だしき者なり。所謂徒に益無きのみに非ず、而して又之を害するなり。才性有りて心力を費やさざる者は、之を作りて以て其の志を言ふも、亦可なり。文学に乏しく材器無き者は、強ひて作ることを要せず。唯思ひを寡くし事を省くのみに非ず、又以て詅癡符の謗りを免るべし。蓋し本邦の土俗は韻語に通ぜず。此れ詩に拙き所以なり。

現代語訳

古詩三百篇は、口ずさみ味わって性情を養い、遠回しの戒めによって教えとするものです。その形は、温和で柔らかく厚みがあり、平易でさりげなく婉曲です。これが風雅の道で、詩人の祖です。詩を作る者は、これを手本とすべきです。今の詩を作る者はこの理に通じず、細かな字句を彫り刻み、織りなすように飾り、配置を工夫して、巧みな飾りを求めることを努力としています。だから詩を作る者は、かえって心身を苦しめ思慮を費やし、本来の仕事を妨げ務めを怠ります。これは物をもてあそんで志を失うことのはなはだしいものです。いわゆる「ただ無益なだけでなく、さらに害をなす」というものです。才能があって心力を費やさない者が、詩を作って志を述べるのはかまいません。学問に乏しく才能のない者は、無理に作る必要はありません。ただ思いを少なくし事を省くだけでなく、下手な作を見せびらかすというそしりも免れることができます。そもそもわが国の風土では漢詩の韻律に通じにくい。これが詩が下手な理由です。

解説

「温柔敦厚は詩の教へなり」は『礼記』経解篇の言葉です。「玩物喪志」は『書経』旅獒の言葉で、程顥が詩文に凝ることを戒めるのにも用いました。「徒に益無きのみに非ず、而して又之を害す」は『孟子』公孫丑上の助長の話の結びです。詅癡符は北斉の顔之推『顔氏家訓』文章篇に見える語で、下手な文を得意げに人に見せることを笑ったものです。益軒は、詩作そのものではなく、技巧に凝って本業を損なうことを戒めます。趣味に没頭して本来の務めを忘れていないか。好きなことと本業の均衡を問う一条です。

この章句が説くこと

玩物喪志技巧本業

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる