慎思録 / 巻之五
能詩者。不妄輕下文字。沈思久而成之。雖一字一句。必用心精密刻苦。而後做出好詩。苟不如此。則雖老杜。不能作好詩。如杜甫。固可謂聖于詩者也。然其作詩也。用心精密。於今可見矣。是杜詩之所以好也。學者之讀書力行。亦當用心如此。
新字:能詩者。不妄軽下文字。沈思久而成之。雖一字一句。必用心精密刻苦。而後做出好詩。苟不如此。則雖老杜。不能作好詩。如杜甫。固可謂聖于詩者也。然其作詩也。用心精密。於今可見矣。是杜詩之所以好也。学者之読書力行。亦当用心如此。
書き下し
詩を能くする者は、妄りに軽々しく文字を下さず、沈思すること久しくして之を成す。一字一句と雖も、必ず心を用ふること精密刻苦にして、而る後に好詩を做出す。苟も此くの如くならずんば、則ち老杜と雖も、好詩を作ること能はず。杜甫の如き、固より詩に聖なる者と謂ふべし。然れども其の詩を作るや、心を用ふること精密なること、今に於て見るべし。是れ杜詩の好き所以なり。学者の読書力行も、亦当に心を用ふること此くの如くなるべし。
現代語訳
詩のうまい者は、みだりに軽々しく字を置かず、長く深く考えてから作り上げます。一字一句であっても、必ず心を用いることが精密で苦心を重ねてこそ、よい詩を作り出すのです。もしそうでなければ、杜甫でもよい詩を作ることはできません。杜甫は、もとより詩の聖人と言うべき人です。しかしその詩を作るときの心の用い方が精密であったことは、今も見ることができます。これが杜甫の詩がよい理由です。学ぶ者が本を読み努めて行うのも、このように心を用いるべきです。
解説
杜甫は後世「詩聖」と呼ばれ、「語、人を驚かさずんば死すとも休まず」と詠んだほど推敲を重ねたことで知られます。益軒は前条で詩に凝ることを戒めましたが、ここでは詩人の苦心そのものは讃え、学問や実践にもその精密さを向けよと言います。才能に恵まれた人でも、丁寧に心を尽くさなければよい仕事はできません。逆に言えば、一つ一つの言葉や作業に心を込めれば、誰でも仕事の質を上げられます。書類一枚、メール一通にも推敲の手間をかける姿勢は、あらゆる仕事に通じます。
この章句が説くこと
推敲精密杜甫力行丁寧
関連する章句
-
『慎思録』巻之五白楽天の詩に李杜を称して曰く、吟詠千古に流れ、声名四夷を動かす、と。韓退之の詩に曰く、李杜の文章在り、光焔万丈長し、と。愚謂ふ、李杜の詩名極めて高きこと此くの如し。然れども杜詩に曰く、文章は真に小技、道に於て未だ尊きを得ず、と。是れ杜の自ら言ふなり。湯東澗の詩にも亦云ふ、文章は道に於て未だ尊しと為さず、詩は文章に於て又一塵、と。然らば則ち詩名を得るは、之を文名に比すれば、亦益下と為すなり。方玄英の詩に曰く、吟じて五箇の字を成し、用ひ破る一生の心、と。誠なるかな是の言や。風雅の士は、俗流と同じからずと雖も、然り而して詩賦は君子の汲汲とする所に非ず。若し此を以て平生の工夫と為さば、道に於て尊ばざる所なり。
-
『慎思録』巻之五古詩三百篇は、吟玩して以て性情を養ひ、諷諭を以て教へと為す。其の体為るや、温柔敦厚、平易微婉なり。是れ風雅の道にして、詩家の祖たり。詩を作る者、須らく此を以て法と為すべし。今の詩を作る者、此の理に達せず、彫虫纂織し、安排布置して、以て巧飾を求むるを工夫と為す。故に詩を作る者、反りて心気を苦しめ思慮を費やし、功を妨げ事を廃す。是れ玩物喪志の甚だしき者なり。所謂徒に益無きのみに非ず、而して又之を害するなり。才性有りて心力を費やさざる者は、之を作りて以て其の志を言ふも、亦可なり。文学に乏しく材器無き者は、強ひて作ることを要せず。唯思ひを寡くし事を省くのみに非ず、又以て詅癡符の謗りを免るべし。蓋し本邦の土俗は韻語に通ぜず。此れ詩に拙き所以なり。
-
『慎思録』巻之五古人謂ふ、人万巻の書を読まず、千里の地を行かざれば、杜詩を看得ず、と。蓋し言ふこころは、人必ず見聞広博にして、杜詩の佳処を見得べし。杜詩すら尚ほ然り。况や道の浩浩たる、豈に聞見する所少なくして、能く之を知り得べけんや。
-
『慎思録』巻之五詩を看るには、須らく風格を択ぶべし。三百篇の後、陶謝及び初唐盛唐の数輩、尤も古雅にして、詩人の体を得たりと謂ふべし。其の余の詩に工なる者固より多し。然れども詩人の風格を得る者は鮮し。窃かに謂ふ、朱子の詩を論ずるが如き、恐らくは最も詩人の意を得たりと謂ふべし。
-
『慎思録』巻之五陸放翁、柳書に跋して曰く、杜詩に注せんと欲せば、須らく少陵の地位を去ること大いに遠からずして、乃ち語を下すべし。然らずんば則ち注すること勿くして可なり。今の諸家は徒に口耳の学を以て揣摩して之を得んと欲す。可ならんや、と。篤信謂ふ、放翁の斯の語、能く後世の妄りに述作する者の膏肓に中る。須らく賢者の学有りて、而る後に聖人の経を伝ふべし。然らずんば則ち杜撰たるを免れず。孟子の学の至る処に到るが如き、能く孔子の道を述ぶる所以なり。孔孟の意を得て之を発明し、伝註を作る者は、程朱に止まるのみ。後世豪傑の士有りと雖も、及ぶべからざるのみ。
-
『慎思録』巻之五程太中、退休の後作る所の詩は、方に稍編録すれども、亦未だ嘗て以て人に示さざるなり。以て法と為すべし。今の人其の作る所を以て好んで人に示す者は、其の美を衒ふなり。恐らくは詅癡符の誚りを免れず。詩を作ること多しと雖も、講学に益無し。况や之を能くする者と雖も、苦思の労、時を廃するの失有り。苟も此くの如くならずんば、則ち巧なること能はず。国俗は唐詩の声韻文字に通ぜず。此れ古来本邦の人の、詩に拙き所以なり。然らば則ち唐詩を作為する者は、本邦の風土の宜しき所に非ず。故に本邦の人、唐詩を作りて以て其の志を述ぶるは、之を和歌に比すれば、甚だ及ばずと為す。已むを得ざるに非ずんば、詩を作らずと雖も可なり。唯古人の詩の其の時の情と景致とに合ふ者を詠吟して足れり。豈に自ら拙詩を作りて労苦するに逾えずや。古の君子の詩を作るが如きは、所謂和順中に積もりて、英華外に発す。性情を吟詠して、其の志を言ふ所以なり。後世の及ばざる所以なり。