慎思録 / 巻之五
詩之源流遠矣。擊壤康衢之歌者。國風之權輿乎。虞廷之唱賡及南風歌者。雅頌之權輿乎。三百篇是夫子之所刪定。爲詩之經。萬世學詩者。當以是爲本。漢魏以降至盛唐。雖去古既遠。而曰刪後無詩。然風雅之流。猶未全亡。如晉陶謝之極雅淡。其最傑然者也。唐之未衰也。詩人韻士輩出。如老杜。上雖不及于風騷。然下冠于百世。後代詩人之所慕倣也。中唐以來。至宋逮元明。其間作者不少。固雖極巧麗。然其風漸非薄。不及古雅也遠矣。亦不可以爲宗師。
新字:詩之源流遠矣。撃壤康衢之歌者。国風之権輿乎。虞廷之唱賡及南風歌者。雅頌之権輿乎。三百篇是夫子之所刪定。為詩之経。万世学詩者。当以是為本。漢魏以降至盛唐。雖去古既遠。而曰刪後無詩。然風雅之流。猶未全亡。如晋陶謝之極雅淡。其最傑然者也。唐之未衰也。詩人韻士輩出。如老杜。上雖不及于風騷。然下冠于百世。後代詩人之所慕倣也。中唐以来。至宋逮元明。其間作者不少。固雖極巧麗。然其風漸非薄。不及古雅也遠矣。亦不可以為宗師。
書き下し
詩の源流は遠し。撃壌康衢の歌は、国風の権輿か。虞廷の唱賡及び南風の歌は、雅頌の権輿か。三百篇は是れ夫子の刪定する所にして、詩の経たり。万世の詩を学ぶ者、当に是を以て本と為すべし。漢魏以降盛唐に至るまで、古を去ること既に遠く、而して刪後に詩無しと曰ふと雖も、然れども風雅の流、猶ほ未だ全くは亡びず。晋の陶謝の極めて雅淡なるが如き、其の最も傑然たる者なり。唐の未だ衰へざるや、詩人韻士輩出す。老杜の如き、上は風騒に及ばずと雖も、然れども下は百世に冠たり。後代の詩人の慕倣する所なり。中唐以来、宋に至り元明に逮ぶまで、其の間作者少なからず。固より巧麗を極むと雖も、然れども其の風漸く非薄にして、古雅に及ばざること遠し。亦以て宗師と為すべからず。
現代語訳
詩の源流は遠いものです。「撃壌歌」や「康衢謡」は国風の始まりでしょうか。舜の朝廷での唱和や「南風歌」は雅・頌の始まりでしょうか。『詩経』三百篇は孔子が選び定めたもので、詩の経典です。万世の詩を学ぶ者は、これを本とすべきです。漢・魏以後、盛唐に至るまで、古代からすでに遠く離れ、「孔子が選んだ後には詩はない」と言われますが、風雅の流れはまだすっかり滅びてはいません。晋の陶淵明や謝霊運のきわめて雅やかで淡泊なものは、その最も傑出したものです。唐がまだ衰えないうちは、詩人や風流の士が次々に出ました。杜甫などは、上は『詩経』や『楚辞』には及ばないとはいえ、下は百代に抜きんでています。後代の詩人が慕って手本にするところです。中唐以来、宋を経て元・明に至るまで、その間に作者は少なくありません。もとより巧みで華麗を極めていますが、その風はしだいに薄くなり、古雅には遠く及びません。これも手本とすべきではありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・先己④詩に曰く、「轡を執ること組の如し。」孔子曰く、「此の言を審らかにすれば、以て天下を為む可し。」子貢曰く、「何ぞ其れ躁なるや。」孔子曰く、「其の躁なるを謂うに非ざるなり。其の之を此に為めて、文を彼に成すを謂えるなり。」聖人は其の身を組修して、文を天下に成す。故に子華子曰く、「丘陵成りて、穴する者安んじ、深淵成りて魚鱉安んじ、松柏成りて塗の人已に蔭せらる。」
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孔子家語・論禮子夏、孔子に侍坐して曰わく、「敢えて問う、詩に云う、『愷悌の君子は、民の父母』と。何如なれば斯れ民の父母と謂うべきか。」孔子曰わく、「夫れ民の父母は、必ず礼楽の源に達し、以て五至を致し三無を行い、以て天下に横たわる。四方に敗有れば、必ず先んじてこれを知る。此れを民の父母と謂う。」
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論語・八佾篇『関雎』は楽しくして淫せず、哀しくして傷(やぶ)らず。
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荀子・大略篇国風の色を好むや、伝に曰く、「其の欲を盈(み)たして其の止(とど)まるを愆(あやま)らず。其の誠は金石に比すべく、其の声は宗廟に内(い)るべし」と。小雅は汙上(をじょう)に用ゐられず、自ら引きて下に居り、今の政を疾(にく)みて以て往者を思ふ。其の言に文(あや)有り、其の声に哀しみ有り。
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荀子・宥坐篇詩に曰く、「彼の日月を瞻(み)れば、悠悠たり我が思い。道の云(ここ)に遠き、曷(いつ)か云に能く来たらん」と。子曰く、「伊(そ)れ稽首(けいしゅ)せば、其れ来たること有らざらんや」と。
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『呻吟語』外篇・治道・民の父母『詩』に云ふ、「樂しき君子は、民の父母」と。又た曰く、「豈弟の君子は、民の父母」と。君子は『詩』に觀て、政を為すの道を知るなり。