論語 / 八佾篇
關雎樂而不淫、哀而不傷。
新字:関雎楽而不淫、哀而不傷。
書き下し
『関雎』は楽しくして淫せず、哀しくして傷(やぶ)らず。
現代語訳
『関雎』の詩は楽しくてもみだらではなく、哀しくても心を傷つけない。
解説
孔子は詩経の『関雎』という詩について、「楽しい内容でありながら度を越してだらしなくならず、もの悲しい内容でありながら人の心を傷つけるまでには至らない」と評しました。喜びも悲しみも、行き過ぎず、節度を保って表すところに、この詩の美しさがあるという教えです。これは日々の暮らしの中の感情の表し方にも通じます。嬉しいことがあって浮かれすぎたり、辛いことがあって周りに当たり散らしたりすれば、そばにいる家族や仲間は落ち着きません。喜びも悲しみも大切にしながら、度を越さないように自分の心を保つ。そうした節度ある姿は、周りの人に安心感を与え、上に立つ人であればなおのこと、欠かせない品位となります。
この章句が説くこと
詩経関雎中庸品位
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