荀子 / 宥坐篇
《詩》曰:「瞻彼日月,悠悠我思。道之云遠,曷云能來。」子曰:「伊稽首不其有來乎?」
新字:《詩》曰:「瞻彼日月,悠悠我思。道之云遠,曷云能来。」子曰:「伊稽首不其有来乎?」
書き下し
詩に曰く、「彼の日月を瞻(み)れば、悠悠たり我が思い。道の云(ここ)に遠き、曷(いつ)か云に能く来たらん」と。子曰く、「伊(そ)れ稽首(けいしゅ)せば、其れ来たること有らざらんや」と。
現代語訳
詩経に「あの日と月を仰ぎ見れば、私の思いははるかに遠い。道のりがこれほど遠くては、いつになったら来られようか」とある。孔子は言った、「もし頭を地につけるほど深く敬い求めるならば、どうして来ないことがあろうか」。
解説
詩経の一節を引き、孔子が短く一言を添えるだけの、宥坐篇のなかでもごく小さな段です。詩のほうは、日や月を仰ぎながら遠い道のりを思い、いつになったら会えるのだろうと嘆く歌になっています。距離が遠すぎて届かない、という諦めの色があります。これに対して孔子は、心から頭を下げて敬い求めるならば、来ないことなどあろうか、と応じます。稽首とは頭を地につける最も丁重な礼のことで、形だけの礼ではなく、それほどまでの誠意を指しています。距離や条件を嘆く前に、こちらの求め方が本気かどうかを問え、という切り返しです。人を招くときも、学びを求めるときも、相手が遠いのではなく、自分の姿勢が浅いだけということは少なくありません。本気で頭を下げて求めているか。短いながら、そう問いかけてくる一段です。
この章句が説くこと
詩経稽首誠意求める姿勢
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