慎思録 / 巻之五
張子之與道統之傳也。次于程子。如西銘。前人之所未發。大有功乎吾道。其餘發明道理亦不尠矣。然而其言曰。形潰反原。又曰。萬物不能不散而爲太虛。此言與程朱之說大相乖戾。嗚呼如天人之氣。聚散消息。是生民之本。大小大事。其說不同者。非微細之差誤。凡先儒各有所見。雖其說不同如此。不害爲其道之同。其餘經說亦然。今人與朱子之說其訓詁有小差。則誹以爲異學。其拘陋甚矣。
新字:張子之与道統之伝也。次于程子。如西銘。前人之所未発。大有功乎吾道。其余発明道理亦不尠矣。然而其言曰。形潰反原。又曰。万物不能不散而為太虚。此言与程朱之説大相乖戻。嗚呼如天人之気。聚散消息。是生民之本。大小大事。其説不同者。非微細之差誤。凡先儒各有所見。雖其説不同如此。不害為其道之同。其余経説亦然。今人与朱子之説其訓詁有小差。則誹以為異学。其拘陋甚矣。
書き下し
張子の道統の伝に与るや、程子に次ぐ。西銘の如き、前人の未だ発せざる所にして、大いに吾が道に功有り。其の余の道理を発明すること亦尠からず。然り而して其の言に曰く、形潰えて原に反る、と。又曰く、万物散じて太虚と為らざること能はず、と。此の言、程朱の説と大いに相乖戻す。嗚呼天人の気の如き、聚散消息は、是れ生民の本にして、大小大の事なり。其の説の同じからざる者は、微細の差誤に非ず。凡そ先儒各見る所有り。其の説同じからざること此くの如しと雖も、其の道の同じきと為すを害せず。其の余の経説も亦然り。今の人、朱子の説と其の訓詁小差有れば、則ち誹りて以て異学と為す。其の拘陋甚だし。
現代語訳
張子が道統の伝えにあずかるのは、程子に次ぐものです。「西銘」などは前人がまだ明らかにしていなかったもので、わが道に大きな功があります。そのほかにも道理を明らかにしたものが少なくありません。しかしその言葉に「形が崩れて源に返る」とあり、また「万物は散じて太虚とならないわけにはいかない」とあります。これらの言葉は程子・朱子の説と大きく食い違っています。ああ、天と人の気の集散と消長は、民の生の根本で、非常に大きな事柄です。その説が違うのは、細かな誤差ではありません。およそ先人の儒者にはそれぞれの見方があります。その説がこのように異なっていても、その道が同じであることを損ないません。そのほかの経書の解釈も同じです。今の人は、朱子の説とわずかでも字句の解釈が違うと、そしって異学とします。その狭く頑ななことははなはだしいものです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一西銘は、天地を以て父母と為し、万物を以て一体と為して、天地に事ふるの道を発明すること親切為り。学者須らく先づ此の理を知り、終身服膺して失ふこと無かるべし。学は自得を貴ぶ。故に自得するに非ざれば、則ち記覧広博、経義詳審なりと雖も、乃ち章句の習ひ、訓詁の学のみ。未だ以て貴しと為すに足らざるなり。
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『慎思録』巻之二周子の通書は、漢より以下第一の好書と為すべし。蓋し諸子の最も粋なる者なり。張子の言は、気象雄偉、語意淳厚にして、其の学も亦た正大光明と謂ふべきなり。西銘一篇の如きは、前人の未だ発せざる所にして、大いに聖門に功有り。然れども其の余の正蒙の諸説の中、間々程子の説く所と異なる者有り。学者須らく更に精審を加ふべし。
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『慎思録』巻之三道を信ぜざるの人に対しては、謾りに道理を説くこと勿かれ。諸を飲食に譬ふ。未だ飲食を欲せざるに、強ひて之を飲食せしむれば、則ち豈に啻に之を厭悪するのみならんや。反って病患と為ること多し。正蒙に云ふ、死の亡びざるを知る者は、与に性を言ふべし、と。困知記に云ふ、此の物有れば即ち此の理有り。気散じて死すれば、終に無に帰す。此の物無ければ即ち此の理無し。安んぞ死して亡びざる者を得ん、と。篤信謂ふ、宋儒性を以て理と為して曰く、気は死生有り理は死生無し、と為す。是れ異学の所謂死して亡びざる者は寿なりと同意なり。羅整庵の此の説、以て異学の説を破るべく、又以て学者の惑を解くべし。張子の正蒙の中に、猶ほ疑ふべきこと此の如き者有るは、何ぞや。豈に偏僻の害を為すや、賢者と雖も免れ難きに非ずや。
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『慎思録』巻之六気象同じからざれば、則ち見る所も亦異なる。我が見る所と同じからざるを以て、概して非と為すべからず。古賢と雖も、其の見る所往往偏異にして、他の賢士と各同じからざる者多し。是れ物の斉しからざるは、物の情なり。
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『慎思録』巻之六学術の綱紀節目と、学を為すの次第とは、学庸語孟に載する所の孔曾思孟の教ふる所を以て法と為して、之に背かざる者は、正学に係り、以て聖人の徒と為すべし。此と同じからざる者は、便ち異学と為し、聖人の徒と為すべからず。周程張朱の学の如きは、皆是れ道統の緒を続ぎ、聖学の正宗為り。然れども経説に於ては、各々所見の言を立て、相同じからざる者も亦多し。張子の正蒙に説く所の人物死生の説の如き、程朱の説と大いに齟齬を為す。其の余も亦出入する者之有り。然れども同じく是れ聖門の正派にして、其の道は則ち一なり。且つ中葉以来経解に載する所の宋儒の諸経説、及び宋季以来明季に至る諸儒の言、程朱の諸説と同じからざる者多し。是れ各々一家の言を立つるなり。苟し外道の意思有るに非ざれば、則ち経説の同じからざるを以て異学と為すべからず。須らく精しく択びて用捨を為すべし。
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『慎思録』巻之六後儒の説の、宋儒の訓義と同じからざる者有るも、亦各見る所有りて説を立つるのみ。若し異学偏僻の説に非ずんば、則ち己に異なると為して都て之を排斥すべからず。蓋し義理は窮まり無し。博く取り周く謀らば、益を得ること少なからず。須らく之を存して参考に備ふべし。