慎思録 / 巻之二
周子通書。可爲自漢以下第一之好書。葢諸子之最粹者也。張子之言。氣象雄偉。語意淳厚。其學亦可謂正大光明也。如西銘一篇。前人之所未發。大有功于聖門。然其餘正蒙諸說之中。間有與程子所說異者。學者須更加精審。
新字:周子通書。可為自漢以下第一之好書。葢諸子之最粋者也。張子之言。気象雄偉。語意淳厚。其学亦可謂正大光明也。如西銘一篇。前人之所未発。大有功于聖門。然其余正蒙諸説之中。間有与程子所説異者。学者須更加精審。
書き下し
周子の通書は、漢より以下第一の好書と為すべし。蓋し諸子の最も粋なる者なり。張子の言は、気象雄偉、語意淳厚にして、其の学も亦た正大光明と謂ふべきなり。西銘一篇の如きは、前人の未だ発せざる所にして、大いに聖門に功有り。然れども其の余の正蒙の諸説の中、間々程子の説く所と異なる者有り。学者須らく更に精審を加ふべし。
現代語訳
周子の『通書』は、漢以後で第一の良書とすべきです。思うに諸子の中で最も純粋なものです。張子の言葉は、気象が雄大で、言葉の意味が純朴で厚く、その学問もまた正大で光明と言うべきです。「西銘」一篇などは、前人がまだ明らかにしなかったことで、聖人の門に大きな功があります。しかしその他の『正蒙』の諸説の中には、ときに程子の説くところと異なるものがあります。学ぶ者はさらに精しく吟味を加えなければなりません。
解説
宋学の先駆者である周敦頤と張載の書を評した条です。周敦頤の『通書』を漢以後第一の書とし、張載については「西銘」を高く評価しつつ、主著『正蒙』には程子と異なる説があるので吟味せよ、と注意しています。敬愛する学者でも、すべてを鵜呑みにせず、どこが優れどこに疑問があるかを分けて読む。この読み方は、尊敬する先輩や専門家の意見を聞くときにも、そのまま使える健全な姿勢です。
この章句が説くこと
読書周子張子西銘精審
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