慎思録 / 巻之五
義理之學。資朋友講習之功而明者多矣。葢其德行相觀感而善。義理相切磋而明。故曰。天下之可說。莫若朋友講習。若以文字相角。以訓詁相挑。此非所以兩澤相麗互相滋益之道也。苟如此。則朋友講習之樂。亦可謂小也。
新字:義理之学。資朋友講習之功而明者多矣。葢其徳行相観感而善。義理相切磋而明。故曰。天下之可説。莫若朋友講習。若以文字相角。以訓詁相挑。此非所以両沢相麗互相滋益之道也。苟如此。則朋友講習之楽。亦可謂小也。
書き下し
義理の学は、朋友講習の功に資りて明らかなる者多し。蓋し其の徳行相観感して善く、義理相切磋して明らかなり。故に曰く、天下の説ぶべきは、朋友講習に若くは莫し、と。若し文字を以て相角ひ、訓詁を以て相挑むは、此れ両沢相麗きて互ひに相滋益する所以の道に非ず。苟も此くの如くならば、則ち朋友講習の楽しみも、亦小なりと謂ふべし。
現代語訳
義理の学問は、友と講じ習う功によって明らかになるものが多いのです。そもそも徳行は互いに見て感じて善くなり、義理は互いに切磋して明らかになります。だから「天下の喜ぶべきものは、友と講じ習うことに及ぶものはない」と言うのです。もし文字の知識で張り合い、字句の解釈で挑み合うなら、それは二つの沢が並んで互いに潤し合う道ではありません。もしそのようであれば、友と講じ習う楽しみも、小さいものと言うべきです。
解説
「両沢相麗く」は『易経』兌卦の象伝「麗沢は兌なり、君子以て朋友講習す」によるもので、並んだ二つの沢が互いに潤し合うように、友が学び合って益し合うことをいいます。「天下の説ぶべきは朋友講習に若くは莫し」は程頤『易伝』の言葉です。益軒は、仲間との学び合いの価値を讃えつつ、知識を競い合う論争になっては意味がないと戒めます。勉強会や読書会も、誰が物知りかを競う場になると楽しみが失われます。互いの良さに感化され、疑問を磨き合う場であってこそ、学びは深まるのです。
この章句が説くこと
朋友講習切磋易学問
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