慎思録 / 巻之五
胡文定稱春秋曰。經世之典。撥亂反正之書。百王不易之大法。愚竊謂。朱子綱目一書。其功亦恐可次之。學者之所當玩覽而終身不可廢也。
新字:胡文定称春秋曰。経世之典。撥乱反正之書。百王不易之大法。愚窃謂。朱子綱目一書。其功亦恐可次之。学者之所当玩覧而終身不可廃也。
書き下し
胡文定、春秋を称して曰く、経世の典、乱を撥めて正に反すの書、百王不易の大法なり、と。愚窃かに謂ふ、朱子の綱目の一書も、其の功亦恐らくは之に次ぐべし。学者の当に玩覧して終身廃すべからざる所なり。
現代語訳
胡文定は『春秋』をたたえて「世を治める典範であり、乱れを収めて正しさに返す書であり、百代の王が変えることのない大法である」と言いました。私がひそかに思うに、朱子の『綱目』という一書も、その功はおそらくこれに次ぐものでしょう。学ぶ者がよく味わって読み、一生手放してはならないものです。
解説
胡文定は前に見た『胡氏伝』の著者胡安国の諡号です。「乱を撥めて正に反す」は『春秋公羊伝』哀公十四年に由来する言葉です。『綱目』は朱子の『資治通鑑綱目』で、司馬光の『資治通鑑』を『春秋』の筆法にならって大綱と細目に整理し、正統と大義名分を明らかにした史書です。江戸時代の日本でも広く読まれ、前の条でも引かれていました。歴史を単なる出来事の記録ではなく、善悪の判断と教訓の書として読む姿勢は、朱子学の歴史観の特徴です。過去から学ぶ読み方を示す一条です。
この章句が説くこと
春秋綱目歴史朱子名分
関連する章句
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『慎思録』巻之四史書は朱子の綱目を以て要と為す。其の書為るや、古今を貫綜し、義理を扶植す。其の義を立つるや、褒貶予奪を以て、其の是非得失を正すこと、規矩準縄の如し。以て倫理綱常を明らかにすべし。其の事を載するや、簡要にして冗雑ならず。以て古昔天下の事に通じ、其の治乱盛衰の道を知るべし。蓋し世に垂れ教へを立つるの大典と為すべく、啻に歴史の比のみに非ざるなり。天地の間、此の書無かるべからざるなり。学者経を読むの余暇に、須らく終身循環して之を読みて廃せざるべし。
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『慎思録』巻之四朱子曰く、先づ史記を読み、次に左伝を看、次に通鑑を看る。余力有らば則ち全史を看よ、と。愚謂へらく、史を読むの序は、当に此の如くなるべし。左伝を読む者は、国語戦国策も亦た兼ね読むべし。朱子の通鑑と称する者は、是れ温公の通鑑なり。此の書は之を綱目に比ぶれば、其の事を記すや、本末詳備なり。学者余暇有らば、則ち須らく兼ねて之を読むべし。然れども其の書甚だ広博なるが為に、学者の周覧に倦む所以なり。
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『慎思録』巻之二古史の体に二つ有り。書と春秋とに本づくのみ。此の二書は経にして史なる者なり。書は則ち各々其の人の言行を記し、或いは一事の本末を記す。後世の史記以下の諸史は此に本づくなり。春秋は則ち編年して以て通じて其の事を記す。後世の通鑑及び綱目は此に本づくなり。源流至論に曰く、一時の事を論ずるは、紀伝は編年に如かず。一人の始終を論ずるは、編年は紀伝に如かず、と。亦た此の謂ひなり。
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『慎思録』巻之六歴史通鑑を通読すれば、則ち天下の広き、千古の久しき、瞭然として尽く胸中に在り。其の往迹を考へて、以て将来の亀鑑と為すべく、以て聖経を補翼して、義理の趣を広むべし。且つ千古を泛覧するも、亦以て人生の喜楽と為すべし。
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『慎思録』巻之五范華陽・胡致堂、其の人と為りや英邁、其の議論激発す。其の作る所、范氏に唐鑑有り、伊川の称誉する所にして、最も好書と為す。胡氏に読史管見有り。二子の書、論を立つるや純正にして、宇宙の間、此の議論無かるべからず。誠に後世の亀鑑と為すべし。故に二子の論、朱子の綱目屢之を引く。然れども愚嘗て謂ふ、東坡の言に曰く、春秋の法、道を論ずるは厳を貴び、人を責むるは寛を貴ぶ、と。此の言宜なり。然らば則ち二子の古人を責むる、恐らくは不仁を悪むこと甚だしきに過ぎて、寛ならざる者は、吾未だ其の可なるや否やを知らず。
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説苑・建本公扈子曰わく、国を有つ者は以て学ばずんばある可からず。春秋、生まれて尊き者は驕り、生まれて富める者は傲る。生まれて富貴にして、又鑒無くして自ら得る者は鮮なし。春秋は国の鑒なり。春秋の中、君を弑すること三十六、国を亡ぼすこと五十二、諸侯奔走して社稷を保つを得ざる者甚だ衆し。未だ先に見て後に之に従わざる者有らざるなり。