慎思録 / 巻之二
古史之體有二焉。本乎書與春秋而已矣。此二書經而史者也。書則各記其人之言行。或記一事之本末。後世之史記以下諸史本乎此也。春秋則編年以通記其事。後世之通鑑及綱目本乎此也。源流至論曰。論一時之事。紀傳不如編年。論一人之始終。編年不如紀傳。亦此之謂也。
新字:古史之体有二焉。本乎書与春秋而已矣。此二書経而史者也。書則各記其人之言行。或記一事之本末。後世之史記以下諸史本乎此也。春秋則編年以通記其事。後世之通鑑及綱目本乎此也。源流至論曰。論一時之事。紀伝不如編年。論一人之始終。編年不如紀伝。亦此之謂也。
書き下し
古史の体に二つ有り。書と春秋とに本づくのみ。此の二書は経にして史なる者なり。書は則ち各々其の人の言行を記し、或いは一事の本末を記す。後世の史記以下の諸史は此に本づくなり。春秋は則ち編年して以て通じて其の事を記す。後世の通鑑及び綱目は此に本づくなり。源流至論に曰く、一時の事を論ずるは、紀伝は編年に如かず。一人の始終を論ずるは、編年は紀伝に如かず、と。亦た此の謂ひなり。
現代語訳
古い歴史書の体裁には二つあり、『書経』と『春秋』にもとづくだけです。この二書は経書であって歴史書でもあります。『書経』はそれぞれその人の言行を記し、あるいは一つの事の始めと終わりを記しています。後世の『史記』以下の諸史はこれにもとづいています。『春秋』は年を追って通して事を記しています。後世の『資治通鑑』と『通鑑綱目』はこれにもとづいています。『源流至論』に「一時期の事を論じるには、紀伝体は編年体に及ばない。一人の始めから終わりを論じるには、編年体は紀伝体に及ばない」とあります。これも同じことを言っています。
解説
歴史書の二つの型、人物ごとに記す紀伝体と、年を追って記す編年体の由来と長所を整理した条です。紀伝体の代表は司馬遷の『史記』、編年体の代表は司馬光の『資治通鑑』とそれを朱子が再編した『通鑑綱目』です。『源流至論』は宋の林駉らが編んだ類書です。物事を人を軸に見るか、時間を軸に見るかで見えるものが違う、という指摘は、プロジェクトの振り返りや会社の歴史をまとめるとき、どちらの切り口で整理するかを選ぶ助けになります。
この章句が説くこと
歴史史書紀伝編年読書
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