慎思録 / 巻之五
伯有之爲厲。杜伯之鬼起而射宣王。戚夫人死而報怨於呂后。此其氣魄强梁過人者。忿怨之氣不散而然。久則渙散而不能爲厲。如氣魄脆弱之人。雖忿怨之甚。不能如此。如唐高宗之妃良娣怨武后之害己。有爲猫爲鼠之言。而不能報是也。
新字:伯有之為厲。杜伯之鬼起而射宣王。戚夫人死而報怨於呂后。此其気魄強梁過人者。忿怨之気不散而然。久則渙散而不能為厲。如気魄脆弱之人。雖忿怨之甚。不能如此。如唐高宗之妃良娣怨武后之害己。有為猫為鼠之言。而不能報是也。
書き下し
伯有の厲を為し、杜伯の鬼起ちて宣王を射、戚夫人死して怨みを呂后に報ゆ。此れ其の気魄強梁にして人に過ぐる者、忿怨の気散ぜずして然り。久しければ則ち渙散して厲を為すこと能はず。気魄脆弱の人の如きは、忿怨の甚だしきと雖も、此くの如くなること能はず。唐の高宗の妃良娣、武后の己を害するを怨みて、猫と為り鼠と為るの言有れども、報ゆること能はざるが如き、是れなり。
現代語訳
伯有が祟りをなし、杜伯の霊が起き上がって周の宣王を射、戚夫人が死んで呂后に怨みを報いた。これらは気魄が強く人にまさった者で、怒りと怨みの気が散らずにそうなったのです。時が経てば散り散りになって、祟ることはできなくなります。気魄の弱い人は、怒りや怨みがどれほど甚だしくても、このようにはなれません。唐の高宗の妃である良娣が、武后が自分を害したことを怨んで、猫になり鼠になるという言葉を残しながら、報いることができなかったのがそれです。
解説
伯有は春秋時代の鄭の大夫で、殺された後に祟りをなした話が『左伝』昭公七年にあり、子産が強い魂魄は死後も散りにくいと説明しました。杜伯は無実の罪で周の宣王に殺され、霊となって王を射たと『墨子』明鬼篇に伝えます。蕭淑妃(良娣)は武后に殺される際、生まれ変わったら自分は猫、武后は鼠となって喉を噛み切ると呪ったと『旧唐書』などに見えます。益軒は怨霊を、強い気が一時的に散らずに残る現象として説明し、やがて消えるとします。前の菅公の条とあわせ、朱子学の合理的な鬼神観がよくわかる一条です。
この章句が説くこと
鬼神気魄怨霊左伝合理
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