慎思録 / 巻之五
焚椒錄。遼臣王鼎記遼王耶律洪基寃殺其妻懿德皇后。比綱目所載甚詳悉。今千載之下。讀之者不堪悲哀矣。嗚呼讒人無極之禍。至如此之極哉。漢武帝之殺戾太子。唐玄宗之殺三子。亦然。夫父子夫婦者至親。然因其信讒。而窮慘刻爲殘忍如此。况其他乎。爲君父而聽人之譖愬者。可不畏乎。嗚呼頑愚至如此。可賤惡之甚矣。
新字:焚椒録。遼臣王鼎記遼王耶律洪基冤殺其妻懿徳皇后。比綱目所載甚詳悉。今千載之下。読之者不堪悲哀矣。嗚呼讒人無極之禍。至如此之極哉。漢武帝之殺戻太子。唐玄宗之殺三子。亦然。夫父子夫婦者至親。然因其信讒。而窮惨刻為残忍如此。況其他乎。為君父而聴人之譖愬者。可不畏乎。嗚呼頑愚至如此。可賤悪之甚矣。
書き下し
焚椒録は、遼の臣王鼎、遼王耶律洪基の其の妻懿徳皇后を寃殺するを記す。綱目の載する所に比して甚だ詳悉なり。今千載の下、之を読む者、悲哀に堪へず。嗚呼讒人無極の禍、此くの如きの極みに至るかな。漢の武帝の戻太子を殺し、唐の玄宗の三子を殺すも、亦然り。夫れ父子夫婦は至親なり。然れども其の讒を信ずるに因りて、惨刻を窮めて残忍を為すこと此くの如し。况や其の他をや。君父と為りて人の譖愬を聴く者、畏れざるべけんや。嗚呼頑愚此くの如きに至る。賤悪すべきの甚だしきなり。
現代語訳
『焚椒録』は、遼の臣王鼎が、遼の君主耶律洪基が妻の懿徳皇后を無実の罪で殺したことを記したものです。『通鑑綱目』に載っているものに比べて、非常に詳しいのです。今、千年の後にこれを読む者は、悲しみに堪えません。ああ、讒言する者の果てしない禍は、このような極みに至るものなのでしょうか。漢の武帝が戻太子を殺し、唐の玄宗が三人の子を殺したのも同じです。父子や夫婦は最も親しい間柄です。それなのに讒言を信じたために、冷酷を極めてこれほど残忍なことをしたのです。まして他の者に対してはなおさらです。君や父となって人のそしりや訴えを聞く者は、恐れずにいられましょうか。ああ、頑なで愚かなことがここまで至るとは。はなはだしく賤しみ憎むべきことです。
解説
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