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慎思録 / 巻之五

世俗稱菅丞相沒後爲厲。愚謂。禮記載子高之言曰。生有益於人。死不害於人。菅君苟賢。則必生有益於人。然即其沒後爲厲。而害於人者。世俗之妄誣也。不可信。夫延喜帝信讒。而過貶遷菅公于遠裔。其後朝廷屢有雷雨之變。而多震死者。是上天之震怒。降威於朝廷。以警於寃枉也。古昔東海太守枉殺孝婦。於是大旱三年。延喜帝朝廷之災變。亦恐如此與。夫孝婦一女子耳。猶其天變如此。況於菅公乎。

新字:世俗称菅丞相没後為厲。愚謂。礼記載子高之言曰。生有益於人。死不害於人。菅君苟賢。則必生有益於人。然即其没後為厲。而害於人者。世俗之妄誣也。不可信。夫延喜帝信讒。而過貶遷菅公于遠裔。其後朝廷屡有雷雨之変。而多震死者。是上天之震怒。降威於朝廷。以警於冤枉也。古昔東海太守枉殺孝婦。於是大旱三年。延喜帝朝廷之災変。亦恐如此与。夫孝婦一女子耳。猶其天変如此。況於菅公乎。

書き下し

世俗、菅丞相の没後厲を為すと称す。愚謂ふ、礼記に子高の言を載せて曰く、生きては人に益有り、死しては人を害せず、と。菅君苟も賢ならば、則ち必ず生きては人に益有らん。然るに即ち其の没後厲を為して人を害すと云ふ者は、世俗の妄誣なり。信ずべからず。夫れ延喜帝、讒を信じて過ちて菅公を遠裔に貶遷す。其の後朝廷屢雷雨の変有りて震死する者多し。是れ上天の震怒、威を朝廷に降して、以て寃枉を警むるなり。古昔、東海の太守、孝婦を枉殺す。是に於て大いに旱すること三年。延喜帝の朝廷の災変も、亦恐らくは此くの如きか。夫れ孝婦は一女子のみ。猶ほ其の天変此くの如し。況や菅公に於てをや。

現代語訳

世間では、菅原道真公が亡くなった後に祟りをなしたと言われています。私が思うに、『礼記』には子高の言葉として「生きては人に益があり、死んでは人を害さない」とあります。菅公がもし賢者であるなら、必ず生きては人に益があったでしょう。それなのに亡くなった後に祟って人を害したと言うのは、世間のでたらめな言いがかりで、信じてはなりません。そもそも延喜の帝は讒言を信じて誤って菅公を遠い地に左遷しました。その後、朝廷ではたびたび雷雨の異変があり、雷に打たれて死ぬ者が多く出ました。これは天が怒って朝廷に威を下し、無実の罪を戒めたのです。昔、東海の太守が孝行な嫁を不当に殺したところ、三年も大ひでりが続きました。延喜の帝の朝廷の災いも、おそらくこれと同じでしょう。孝婦はただ一人の女性にすぎないのに、天の異変はこのようでした。まして菅公ならなおさらです。

解説

菅原道真は延喜元年(901年)に大宰府へ左遷され、没後に清涼殿落雷などが起こって怨霊として恐れられました。益軒は『礼記』檀弓の子高の言葉を引き、賢者が死後に人を害するはずがないと怨霊説を退けます。代わりに、災いは天が無実の罪を罰したものと解釈します。東海の孝婦の話は『漢書』于定国伝に見える故事です。朱子学の合理主義で俗信を正しつつ、天人相関の考えは残すところに当時の儒者の姿が表れています。噂を鵜呑みにせず、筋道から吟味する姿勢を学べます。

この章句が説くこと

俗信冤罪菅原道真

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