慎思録 / 巻之二
說鬼神者多矣。唯朱子說鬼者陰之靈。神者陽之靈者。簡要而的當。恐可爲正解。程子以造化之迹說。此以粗迹之著顯而易見者示人而已。非正解也。張子說。二氣之良能也。此言陰陽之自然能往來屈伸者即是鬼神。比程子爲稍近。然是亦非正解也。葢二子之言不同者。二子非不知鬼神爲一氣之靈。亦各發明一理也。
新字:説鬼神者多矣。唯朱子説鬼者陰之霊。神者陽之霊者。簡要而的当。恐可為正解。程子以造化之迹説。此以粗迹之著顕而易見者示人而已。非正解也。張子説。二気之良能也。此言陰陽之自然能往来屈伸者即是鬼神。比程子為稍近。然是亦非正解也。葢二子之言不同者。二子非不知鬼神為一気之霊。亦各発明一理也。
書き下し
鬼神を説く者多し。唯だ朱子の、鬼は陰の霊、神は陽の霊と説く者、簡要にして的当なり。恐らくは正解と為すべし。程子は造化の迹を以て説く。此れ粗迹の著顕にして見易き者を以て人に示すのみ。正解に非ざるなり。張子は説く、二気の良能なり、と。此れ陰陽の自然に能く往来屈伸する者即ち是れ鬼神なるを言ふ。程子に比して稍々近しと為す。然れども是れも亦た正解に非ざるなり。蓋し二子の言の同じからざる者は、二子鬼神の一気の霊為るを知らざるに非ず。亦た各々一理を発明するなり。
現代語訳
鬼神を説く者は多い。ただ朱子が「鬼は陰の霊、神は陽の霊」と説いたのが、簡潔で要を得て的確です。おそらく正解とすべきでしょう。程子は「造化の迹(天地の働きの跡)」として説きました。これは粗い跡のはっきりして見やすいものによって人に示しただけで、正解ではありません。張子は「陰陽二気のすぐれた働き」と説きました。これは陰陽が自然に行き来し伸び縮みするものがそのまま鬼神だということを言っています。程子に比べるとやや近い。しかしこれもまた正解ではありません。思うに二人の言葉が違うのは、二人が鬼神を一つの気の霊だと知らなかったからではなく、それぞれ一つの理を明らかにしたのです。
解説
鬼神(霊的な存在)を理と気でどう説明するかをめぐる条です。朱子の『中庸章句』第十六章には、程頤の「造化の迹」、張載の「二気の良能」、朱子自身の「鬼は陰の霊、神は陽の霊」が並べて引かれており、益軒はその中で朱子の説を正解とします。ただし程子・張子も誤りではなく、それぞれ一面を明らかにした、と認めるところが公平です。複数の説明が並ぶとき、どれが最も的確かを見定めつつ、他の説の意義も認める。議論を整理するときの良い手本です。
この章句が説くこと
鬼神陰陽気朱子理
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