慎思録 / 巻之五
後漢書曰。人情忽於見事。而貴異聞。歐陽永叔曰。凡人之情。忽近而貴遠。篤信曰。二語其意相似。葢衆人之情。貴耳而賤目。由知人不明也。
新字:後漢書曰。人情忽於見事。而貴異聞。欧陽永叔曰。凡人之情。忽近而貴遠。篤信曰。二語其意相似。葢衆人之情。貴耳而賤目。由知人不明也。
書き下し
後漢書に曰く、人情は見事に忽にして、異聞を貴ぶ、と。欧陽永叔曰く、凡そ人の情は、近きを忽にして遠きを貴ぶ、と。篤信曰く、二語其の意相似たり。蓋し衆人の情は、耳を貴びて目を賤しむ。人を知ること明らかならざるに由るなり。
現代語訳
『後漢書』に「人の情は、目の前に見る事を軽んじて、珍しい話を貴ぶ」とあります。欧陽永叔は「およそ人の情は、近いものを軽んじて遠いものを貴ぶ」と言いました。私篤信が言います。この二つの言葉は意味が似ています。そもそも多くの人の情は、耳で聞いたことを貴び、目で見たことを賤しみます。人を知ることが明らかでないからです。
解説
欧陽永叔は北宋の欧陽脩です。「耳を貴び目を賤しむ」は後漢の張衡「東京賦」などに見える言葉で、評判を重んじて自分の目で確かめたものを軽んじる人の性向をいいます。益軒は、これを人を見る目の曇りとして捉えます。遠くの有名人や噂の人物を過大に評価し、身近にいる人の本当の価値を見落とす。職場でも、外部の専門家の意見はありがたがるのに、同じことを言う身内の声は聞き流すことがあります。自分の目で見たものを信じ、身近な人の価値を正しく見る目を持ちたいものです。
この章句が説くこと
知人評判見聞偏り近遠
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『慎思録』巻之一誉むる者は或いは其の実に過ぎ、毀る者は或いは其の真を損ず。此れ衆人の毀誉する所の常情なり。況んや小人奴婢の毀誉は、或いは私昵旧恩有るに因り、或いは私怨宿憝有るに因る。概ね皆私意より発する所にして、以て信と為すに足らざるのみ。大率毀誉を聞きて、精察して迷眩せざる者は、明と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之三人の世に在るや、必ず愛憎の私有り。是を以て褒誉実に過ぐる者有り、猜忌寃を為す者有り。人の毀誉の、往往理に当たらざる者多き所以なり。毀誉は妄りに信ずべからず。古人曰く、公論は百年にして後に定まる、と。又曰く、之を要するに死する日にして、後是非乃ち定まる、と。豈に然らざらんや。己の人を毀誉するも亦然り。夫れ人は誠に知り易からず。故に人を知ることは、帝堯も之を難しとす。况んや庸人をや。苟も一事一暫の見聞する所に因りて、軽々しく人を毀誉せば、往往其の実に中らずして謬らざる者鮮し。是れ不知の大なる者にして、恥づべきの甚しきなり。人豈に遽かに毀誉を為すべけんや。
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『慎思録』巻之五人各賢愚有り、曲直有り、情偽有り。人心其の美悪を匿して、測り知るべからず。吾に真情有るが如きも、他人は吾が心曲を知ること能はず。豈に能く心を傾けて相信ぜんや。李太白の詩に曰く、他人方寸の間、山海幾千里、と。亦此の意のみ。人平日常に膝を交へて晤語する者有り。然れども其の心曲を知ること能はず。猶ほ相去ること千里を隔つるが一般なり。古人謂へる有り、白頭も新しきが如く、傾蓋も故の如し、と。知ると知らざるとに由るなり。亦此の意のみ。蓋し人の心曲は幽隠にして、良才美徳人に長ずる者有りと雖も、姦邪凶慝甚だしき者有りと雖も、然れども常に深く伏して発せず。事に遇ふに非ずんば、終身窺ふべからざる者有り。父兄と雖も之を識ること能はず。况や他人に於てをや。故に吾の人を知ること難きと、人の我を知ること難きと、同じく是れ一般なり。人の己を知らざるを以て、人を怨み自ら慍るべからず。人の吾が中心に美徳有るを知らざるは、譬へば他人の吾が肚裏の饜足を知ること能はざるが如し。是れ我が身に於て相干らざるの事なり。何の怨尤か之れ有らん。故に孔子曰く、人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふ、と。
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『慎思録』巻之一人を知ることは甚だ難し。唯明にして公なる者のみ、能く人を知る。闇にして私なる者は、人を知ること能はず。衆人は知識闇昧にして、私意蔽固なり。故に闇き者は人の曲直邪正を監察すること能はずして、妄りに人の毀誉欺偽を信ず。私なる者は己の愛憎喜怒に徇ひて、妄りに人の賢否得失を決す。誤らざらんと欲すと雖も、得べからざるなり。
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『慎思録』巻之三人を知るは甚だ難し。若し能く詢謀周悉にして、鑑察詳密にして、讒佞を信ぜず、愛憎の私に徇はざれば、是れ人を知るの道なり。過寡く悔寡きに庶し。一時一暫、他人の毀誉と、吾の好悪とに随ひて、妄りに褒貶を為し挙措を為すは、過誤多き所以なり。
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『顔氏家訓』慕賢世人多く蔽われ、耳を貴び目を賤しみ、遥かなるを重んじ近きを軽んず。少より長ずるまで周旋するに、如し賢哲有らば、毎に相い狎侮して、礼敬を加えず。他郷異県に、微かに風声を借れば、頸を延べ踵を企て、飢渇よりも甚だし。其の長短を校べ、其の精麤を核すに、或いは彼は此くの如き能わざるなり。所以に魯人は孔子を謂いて東家丘と為す。昔虞国の宮之奇は、少より君に長ずる。君之に狎れて、其の諫めを納れず、以て亡国に至る。心に留めざるべからざるなり。