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慎思録 / 巻之一

譽者或過其實。毀者或損其眞。此衆人所毀譽之常情也。况小人奴婢之毀譽。或因有私昵舊恩。或因有私怨宿憝。槩皆自私意所發。而不足以爲信耳。大率聞毀譽。而精察不迷眩者。可謂明也。

新字:誉者或過其実。毀者或損其真。此衆人所毀誉之常情也。況小人奴婢之毀誉。或因有私昵旧恩。或因有私怨宿憝。槩皆自私意所発。而不足以為信耳。大率聞毀誉。而精察不迷眩者。可謂明也。

書き下し

誉むる者は或いは其の実に過ぎ、毀る者は或いは其の真を損ず。此れ衆人の毀誉する所の常情なり。況んや小人奴婢の毀誉は、或いは私昵旧恩有るに因り、或いは私怨宿憝有るに因る。概ね皆私意より発する所にして、以て信と為すに足らざるのみ。大率毀誉を聞きて、精察して迷眩せざる者は、明と謂ふべきなり。

現代語訳

誉める者は時に実際以上に誉め、けなす者は時に本当の姿を損ないます。これが普通の人の誉めけなしの常の情です。まして小人や召使いの誉めけなしは、あるいは個人的な親しみや昔の恩によるものであり、あるいは個人的な恨みや積年の憎しみによるものです。おおむねどれも私心から出たもので、信じるには足りません。おおよそ誉めけなしを聞いて、よく見極めて惑わされない者は、明であると言うべきです。

解説

人の評判を鵜呑みにせず、その出どころを見極めよと説いた条です。誉め言葉にもけなし言葉にも、話し手の私情が混じるという指摘は冷静です。特に身近な者の評判は、恩や恨みで左右されやすいと言います。結びの「明と謂ふべし」は、『論語』顔淵篇で孔子が、じわじわしみ込む讒言や身に迫る訴えに動かされない者を明と呼んだことを思わせます。人事評価や噂話に接するとき、その話が誰の、どんな思いから出ているかを考えることが、公正な判断の第一歩です。

この章句が説くこと

毀誉私意評価判断

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