慎思録 / 巻之五
孔明岳飛文天祥之輩。非無王佐之才。恢復之力。然身爲將相。不能立其功。非命乎。然則人之賢否。不可以事功之成敗論也久矣。功之成否。唯由命之禍福而巳。非由賢不肖也。
新字:孔明岳飛文天祥之輩。非無王佐之才。恢復之力。然身為将相。不能立其功。非命乎。然則人之賢否。不可以事功之成敗論也久矣。功之成否。唯由命之禍福而巳。非由賢不肖也。
書き下し
孔明・岳飛・文天祥の輩、王佐の才、恢復の力無きに非ず。然れども身将相と為りて、其の功を立つること能はず。命に非ずや。然らば則ち人の賢否は、事功の成敗を以て論ずべからざること久し。功の成否は、唯命の禍福に由るのみ。賢不肖に由るに非ざるなり。
現代語訳
諸葛孔明・岳飛・文天祥といった人々には、王を助ける才能も、国を取り戻す力もなかったわけではありません。しかし将軍や宰相となりながら、その功を立てることができませんでした。これは命ではないでしょうか。そうであれば、人が賢いかどうかは、事業の成功失敗で論じてはならないことは、久しく明らかです。功が成るかどうかは、ただ命の禍福によるだけで、賢いか愚かかによるのではありません。
解説
諸葛亮は蜀漢の丞相として北伐を続けながら陣中で没し、岳飛は金との戦いで功を挙げながら讒言で獄死し、文天祥は南宋の宰相として元に抵抗して捕らえられ処刑されました。いずれも才と忠を備えながら志を果たせなかった人物です。益軒は、事の成否は命によるもので、人の価値は結果では測れないと言い、前の事功の学への批判とも呼応させます。結果を出せなかった人を無能と決めつけず、その人が何をどう尽くしたかを見る。人を評価するときの大切な視点を示しています。
この章句が説くこと
命事功賢愚忠臣評価
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