慎思録 / 巻之五
見道明。則守之固。守之不固者。見之不明也。今有聰慧勝人。而持守不固者。因不實見得也。喪禮。國有通俗常法。是以難盡孝子之情。如處士不仕之徒。粗從其意。亦恐無妨。然喪禮於本邦。其勢不能悉行。學者當姑從國俗。而行易行者而已矣。不可背國法駭時俗。只不剃髮不火化。惟可也。
新字:見道明。則守之固。守之不固者。見之不明也。今有聰慧勝人。而持守不固者。因不実見得也。喪礼。国有通俗常法。是以難尽孝子之情。如処士不仕之徒。粗従其意。亦恐無妨。然喪礼於本邦。其勢不能悉行。学者当姑従国俗。而行易行者而已矣。不可背国法駭時俗。只不剃髪不火化。惟可也。
書き下し
道を見ること明らかなれば、則ち之を守ること固し。之を守ること固からざる者は、之を見ること明らかならざるなり。今聡慧人に勝りて、持守固からざる者有るは、実に見得ざるに因るなり。喪礼は、国に通俗常法有り。是を以て孝子の情を尽くし難し。処士の仕へざるの徒の如きは、粗其の意に従ふも、亦恐らくは妨げ無からん。然れども喪礼は本邦に於て、其の勢悉くは行ふこと能はず。学者当に姑く国俗に従ひて、行ひ易き者を行ふべきのみ。国法に背き時俗を駭かすべからず。只髪を剃らず火化せざる、惟れ可なり。
現代語訳
道を見ることが明らかであれば、それを守ることは固くなります。守ることが固くない者は、見ることが明らかでないのです。今、聡明さは人にまさっているのに、守りが固くない者がいるのは、本当に見て会得していないからです。喪の礼については、国に世間一般の決まったやり方があります。そのため孝子の心情を尽くすのは難しいのです。仕官していない在野の人などは、おおよそ自分の意に従っても、おそらく差し支えないでしょう。しかし儒教の喪礼は、わが国では、その勢いとしてすべてを行うことはできません。学ぶ者はひとまず国の風俗に従って、行いやすいものを行うべきです。国の法に背いたり、世の風俗を驚かせたりしてはなりません。ただ髪を剃らず、火葬にしないことだけはよいでしょう。
解説
前半は、知ることが明らかであってこそ実践が固くなるという、朱子学の知先行後の考え方です。頭がよくても行いがぶれる人は、実は本当にわかっていないのだと言います。後半は喪礼の話で、朱子の『家礼』に基づく儒葬を日本でそのまま行うのは難しいと認め、国の慣習に従いつつ、出家の証である剃髪と仏式の火葬だけは避けよと勧めます。江戸時代は寺請制度のもとで仏式の葬儀が一般的でした。原則を持ちながら社会の現実と折り合いをつける、益軒の穏健で実際的な姿勢がよく表れています。
この章句が説くこと
知行喪礼国俗実践中庸
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