君子訓 / 巻之下
一人を讒言する人は、人の小さき過をかざりて、大に言ひなすものなり。或は過なき人をもあやまりありと云ひ、君たる人能く察せずして其言を信ずるは、迷の甚しきなり。讒を聞きて善人を退くるは、其善人の災のみならず、萬民の災なり。鄒の穆公といふ君、下に命じて鳧と雁とを飼ふに、米を飼はず、唯粃を以て餌となす。或時食に粃なし。民に買へば、折節粃少くして、米の價より高し。依て其司米をはましめんといふ。君用ひずして曰く、汝小利を知りて大損を知らず。百姓朝夕寒暑を厭はずして稻を作り出すは、鳥獸の爲に非ず。且米は人の上食なり。何ぞ是を以て鳥を養はんや。藏の米を出して、價高くとも臣の粃を買ひて鳥に飼ふべし、藏の米を臣に與ふるは、則我が倉に在ると同じと言へり。
新字:一人を讒言する人は、人の小さき過をかざりて、大に言ひなすものなり。或は過なき人をもあやまりありと云ひ、君たる人能く察せずして其言を信ずるは、迷の甚しきなり。讒を聞きて善人を退くるは、其善人の災のみならず、万民の災なり。鄒の穆公といふ君、下に命じて鳧と雁とを飼ふに、米を飼はず、唯粃を以て餌となす。或時食に粃なし。民に買へば、折節粃少くして、米の価より高し。依て其司米をはましめんといふ。君用ひずして曰く、汝小利を知りて大損を知らず。百姓朝夕寒暑を厭はずして稲を作り出すは、鳥獣の為に非ず。且米は人の上食なり。何ぞ是を以て鳥を養はんや。蔵の米を出して、価高くとも臣の粃を買ひて鳥に飼ふべし、蔵の米を臣に与ふるは、則我が倉に在ると同じと言へり。
書き下し
一人を讒言する人は、人の小さき過をかざりて、大に言ひなすものなり。或は過なき人をもあやまりありと云ひ、君たる人能く察せずして其言を信ずるは、迷の甚しきなり。讒を聞きて善人を退くるは、其善人の災のみならず、万民の災なり。鄒の穆公といふ君、下に命じて鳧と雁とを飼ふに、米を飼はず、唯粃を以て餌となす。或時食に粃なし。民に買へば、折節粃少くして、米の価より高し。依て其司米をはましめんといふ。君用ひずして曰く、汝小利を知りて大損を知らず。百姓朝夕寒暑を厭はずして稲を作り出すは、鳥獣の為に非ず。且米は人の上食なり。何ぞ是を以て鳥を養はんや。蔵の米を出して、価高くとも臣の粃を買ひて鳥に飼ふべし、蔵の米を臣に与ふるは、則我が倉に在ると同じと言へり。
現代語訳
人を讒言する者は、人の小さな過ちを飾り立てて大きく言いなすものです。あるいは過ちのない人まで過ちがあると言い、君たる人がよく察せずにその言葉を信じるのは、迷いのはなはだしいものです。讒言を聞いて善人を退けるのは、その善人の災いであるだけでなく、万民の災いです。鄒の穆公という君は、下に命じて鴨と雁を飼わせるのに、米を与えず、ただ粃を餌にさせていました。あるとき粃がなくなりました。民から買うと、ちょうど粃が少なくて米の値段より高くつきました。そこで係の役人が米を食べさせようと言いました。君は聞き入れずにこう言いました。「お前は小さな利を知って大きな損を知らない。百姓が朝夕寒暑をいとわずに稲を作るのは、鳥獣のためではない。そのうえ米は人の上等な食べ物である。どうしてこれで鳥を養えようか。蔵の米を出して、値が高くても民の粃を買って鳥に与えよ。蔵の米を民に与えるのは、すなわち我が倉にあるのと同じだ」と言いました。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之五焚椒録は、遼の臣王鼎、遼王耶律洪基の其の妻懿徳皇后を寃殺するを記す。綱目の載する所に比して甚だ詳悉なり。今千載の下、之を読む者、悲哀に堪へず。嗚呼讒人無極の禍、此くの如きの極みに至るかな。漢の武帝の戻太子を殺し、唐の玄宗の三子を殺すも、亦然り。夫れ父子夫婦は至親なり。然れども其の讒を信ずるに因りて、惨刻を窮めて残忍を為すこと此くの如し。况や其の他をや。君父と為りて人の譖愬を聴く者、畏れざるべけんや。嗚呼頑愚此くの如きに至る。賤悪すべきの甚だしきなり。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一民を司どる人は、民の父母なれば、民をあはれむ心を本とすべし。民の心を以て心として、民の好む事を好みてほどこし、民のきらふ事をきらひてほどこさず、父母の子を思ふが如くする故、是を民の父母と云ふ。民の上に立つ人は、民をやしなふ職分を天より授け給ふ事を知りて、天道にしたがひ、民をくるしましむべからず。我一人の楽をきはめんとて、おほくの人を苦むるは、天道の御心にそむけり。天道おそるべし。すべて人は高きもひききも同じ人なれば、民の楽み苦みも、我と同じ。我が心を以て民の心をおしはかるに違はず。民のうれひ苦みを思ひはかりて、憐むべし。不仁なる人は、民をあはれまずして、民を愛すれば奢りて上をあなどるとて、民をあはれまず。
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孔子家語・六本孔子曰わく、「舟は水に非ざれば、行かず。水舟に入れば、則ち没す。君は民に非ざれば、治まらず。民上を犯せば、則ち傾く。是の故に君子は厳ならざる可からざるなり、小人は整一ならざる可からざるなり。」
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『君子訓』巻之下一或明君の言にいふ、神の罰君の罰、誠に畏るべし。然れども我が臣下の罰百姓の罰、尤恐るべし。如何となれば、神の罰はいのりて免るべし。君の罰はわびごとを以て遁るべし。唯民と臣との心を失ひて背かれぬれば、其災遁るべきやうなし。
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『五常訓』巻之五・信是子貢にこたへ給へる意なるべし。又司馬温公の曰、信者人君の大宝なり。国は民に保ち、民は信にたもつ。信にあらざれば、民をつかふ事なく、民にあらざれば、国を守る事なし。故に古の王者は、四海を欺かずと云へり。夫国は民を以てたもつ。民したがはざれば、国ありても保ちがたし。民は信を以てたもつ。上より民を欺きいつはりて、信なければ、民上を信ぜずして、思ひつかず。民の心をたもちがたし。
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