慎思録 / 巻之五
胡氏知言。亦可謂好書也。其嘉言發揮義理者多矣。彼豪雄之才。講學之力。秀發于當世。凡力有餘者。必負其才。放過亦多。竊謂。胡氏之學。雖出于龜山之釋。然不免與伊洛之統微有齟齬。一變則恐出乎程門規格之外。或流爲事功之學。亦未可知也。
新字:胡氏知言。亦可謂好書也。其嘉言発揮義理者多矣。彼豪雄之才。講学之力。秀発于当世。凡力有余者。必負其才。放過亦多。窃謂。胡氏之学。雖出于亀山之釈。然不免与伊洛之統微有齟齬。一変則恐出乎程門規格之外。或流為事功之学。亦未可知也。
書き下し
胡氏の知言も、亦好書と謂ふべし。其の嘉言の義理を発揮する者多し。彼の豪雄の才、講学の力、当世に秀発す。凡そ力余り有る者は、必ず其の才を負む。放過すること亦多し。窃かに謂ふ、胡氏の学は、亀山の釈に出づと雖も、然れども伊洛の統と微しく齟齬有るを免れず。一変すれば則ち恐らくは程門の規格の外に出でん。或いは流れて事功の学と為るも、亦未だ知るべからざるなり。
現代語訳
胡氏の『知言』もまた良い書と言うべきです。その優れた言葉で義理を発揮したものが多いのです。彼の豪快で雄々しい才と学問を講じる力は、当時に抜きんでていました。およそ力の余りある者は、必ずその才を頼みます。見過ごして粗略にすることも多いのです。ひそかに思うに、胡氏の学問は亀山の解釈から出たものではありますが、伊洛の学統とわずかに食い違いがあることを免れません。一変すれば、おそらく程子の門の規格の外に出るでしょう。あるいは流れて事功の学になることも、わからないことです。
解説
胡宏(五峰)は南宋の儒者で、湖湘学派を開き、『知言』を著しました。亀山は程頤の高弟楊時の号、伊洛は程顥・程頤の学統を指します。朱子は『知言疑義』で胡宏の性論を批判しました。益軒は『知言』の価値を認めつつ、才気ある学者は自分の才に頼って細部を粗略にしやすく、やがて正統から外れる恐れがあると見ます。才能のある人ほど、基本を軽んじて独自の道を走りがちです。力があるときこそ、基礎を丁寧に押さえ直すことの大切さを示す人物評です。
この章句が説くこと
胡宏才学統程門読書
関連する章句
-
『慎思録』巻之五范華陽・胡致堂、其の人と為りや英邁、其の議論激発す。其の作る所、范氏に唐鑑有り、伊川の称誉する所にして、最も好書と為す。胡氏に読史管見有り。二子の書、論を立つるや純正にして、宇宙の間、此の議論無かるべからず。誠に後世の亀鑑と為すべし。故に二子の論、朱子の綱目屢之を引く。然れども愚嘗て謂ふ、東坡の言に曰く、春秋の法、道を論ずるは厳を貴び、人を責むるは寛を貴ぶ、と。此の言宜なり。然らば則ち二子の古人を責むる、恐らくは不仁を悪むこと甚だしきに過ぎて、寛ならざる者は、吾未だ其の可なるや否やを知らず。
-
『慎思録』巻之五不賢者の稟性や、特に其の行の分数足らざるのみに非ず、其の知も亦分数を欠く。蓋し行の短き所は、其の知も亦足らず。是を以て或いは人の規誨を聞くと雖も信ぜず、亦自ら其の短き所を知ること能はず。此れ知と行と皆足らざるなり。甚だしいかな、気質を変化するの難きや。韓子曰く、学ぶ者各其の性の近き所を得、と。此の言最も是なり。学問力行すと雖も、只他の資質の好き処の上に就きて、些少の好きを添へ得るのみ。是れ知の足らざるが故のみ。此の故に学は公聴博覧、己を舎てて人に従ふを貴ぶ。須らく自ら是とせずして一箇の是当の処を求むべし。徒に己の見を執りて自ら用ふるを貴ばず。是れ知を開くの方なり。
-
『慎思録』巻之五中夏の古人の博洽才量は、本邦の人を以て之に比校すれば、卓乎として其れ及ぶべからず。是れ今古華夷の稟性と学習との相如かざるなり。苟も其の識見の精粗と偏正とを論ずれば、則ち中華古来宏才の士と雖も、亦復往往議すべき者有り。其の著す所を看て知るべきのみ。所謂其の詩を誦し其の書を読みて、其の人を知らずして、可ならんや。然らば則ち古人の説と雖も、其の疑ふべき者を疑ひ、其の信ずべき者を信ずるも、亦是れ善く学ぶ者の為す所なり。若し古人皆是なりと謂ひて、揀択去取する所無く、一切曲従する者は、明達と為すべからざるなり。故に遜志斎曰く、学は疑ふに匪ざれば明らかならず。而して疑ふこと鑿を悪む。疑ひて能く辨ず、斯れを善く学ぶと為す。古皆然りと以ふこと勿かれ、と。愚謂ふ、此の言旨きかな。明達の君子、以て如何と為すや。然れども後生の妄りに先正を議する者も、亦当に戒むべき所なり。
-
『慎思録』巻之五古来才力余り有りて識量足らざる者多し。蓋し才と知とは自ら別なり。才は是れ心の力、智は是れ心の明なり。辨ぜざるべからず。世人は才智を以て一套の事と為す。誤れり。世に才高くして識暗き者有り、才鈍くして識明らかなる者有り。才智の一般に非ざるを見るべし。
-
『慎思録』巻之五方孝孺の文は、往往義理を発明し、治道に補ひ有る者多し。其の戒恃才の一篇は、最も規戒に切なり。君相為るの人の、宜しく観覧すべき所なり。以て病に応ずるの薬石と為すべし。凡人も皆亦当に玩覧すべし。屠漸山之を評して、唯筆勢音節を称して、世教に関はるを称せず。何ぞ其の玩読の膚浅なるや。孝孺の経済の学、忠義の節は貴ぶべし。不幸にして終はりを保たず。惜しむべきかな。
-
『慎思録』巻之五古昔先正の言を立つる、若し両説同じからずして、倶に義理有る者は、是れ亦各一理を発明するのみ。偏廃すべからず。苟も虚心に玩味し、各文意に随ひて、其の理の在る所を求むれば、則ち当に並び行はれて悖らざるべし。其の同じからざる処も、亦自ら相妨げず。己の意を以て横に主張を作して、妄りに之を是非すべからず。是れ邪正是非曲直を辨ずる者とも亦自ら別なり。