慎思録 / 巻之五
老年讀書之法。與少壯不同。擇看簡要者。潜心尋思。使義理精熟。而欲自得之。是歸約之功也。不可徒務博覽强記。而貪多。所求不約。則汎濫而無功。不能自得于心。徒費心力而巳矣。
新字:老年読書之法。与少壮不同。択看簡要者。潜心尋思。使義理精熟。而欲自得之。是帰約之功也。不可徒務博覧強記。而貪多。所求不約。則汎濫而無功。不能自得于心。徒費心力而巳矣。
書き下し
老年の読書の法は、少壮と同じからず。簡要なる者を択びて看、心を潜めて尋思し、義理をして精熟せしめて、之を自得せんと欲す。是れ約に帰するの功なり。徒に博覧強記を務めて多きを貪るべからず。求むる所約ならざれば、則ち汎濫して功無く、心に自得すること能はず。徒に心力を費やすのみ。
現代語訳
老年の読書の方法は、若い頃とは違います。簡潔で要を得たものを選んで読み、心を沈めてじっくり考え、義理を精しく熟させて、自分のものとして会得しようとします。これが要約に帰する工夫です。ただ広く読み強く覚えることに努めて、多くを貪ってはなりません。求めるものが要約されていなければ、散漫になって成果がなく、心に会得することができません。いたずらに心の力を費やすだけです。
解説
八十代でこの書をまとめた益軒自身の実感がこもった一条です。若い時は広く読み覚えることに意味がありますが、老年には残された時間と体力を考え、要となる書を選んで深く味わうべきだと言います。前に見た博と約の議論を、人生の段階に当てはめたものです。益軒は若い頃から膨大な書を読み、晩年には読書と著述の中で自得を重んじました。年齢に応じて学び方を変えることは、知識を量で増やす段階から、質を深める段階へ移ることです。経験を積んだ人の学び直しにも通じます。
この章句が説くこと
読書老い自得約精熟
関連する章句
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『慎思録』巻之四凡そ読書の法は、経を本と為し、史之に次ぎ、子集又其の次なり。其の功を用ふるの軽重本末次序は、須らく此の如くすべし。諸史子集を読むにも、亦た各須らく一書に専らにすべし。或いは二書を兼ね読むも亦た可なり。然れども一時に誦読する所の書多くして専一ならざれば、則ち紛冗にして条理を成さず。功力分かれて、精熟を做し難し。凡そ諸史子集は、其の精要なる者を抄出して冊子と為し、須らく日夜熟読して記誦を成すべし。此の如くすれば則ち功を用ふること少なくして、効多し。凡そ書を看るに、其の要用有る者は、須らく誦を成すべし。誦を成さざれば用を済し難し。
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