慎思録 / 巻之五
方孝孺之文。往往發明義理。有補治道者多矣。其戒恃才一篇。最切乎規戒。爲君相之人。所宜觀覽也。可以爲應病之藥石。凡人皆亦當玩覽。屠漸山評之。唯稱筆勢音節。不稱關世敎。何其玩讀之膚淺乎。孝孺經濟之學。忠義之節可貴。不幸不保終。可惜哉。
新字:方孝孺之文。往往発明義理。有補治道者多矣。其戒恃才一篇。最切乎規戒。為君相之人。所宜観覧也。可以為応病之薬石。凡人皆亦当玩覧。屠漸山評之。唯称筆勢音節。不称関世教。何其玩読之膚浅乎。孝孺経済之学。忠義之節可貴。不幸不保終。可惜哉。
書き下し
方孝孺の文は、往往義理を発明し、治道に補ひ有る者多し。其の戒恃才の一篇は、最も規戒に切なり。君相為るの人の、宜しく観覧すべき所なり。以て病に応ずるの薬石と為すべし。凡人も皆亦当に玩覧すべし。屠漸山之を評して、唯筆勢音節を称して、世教に関はるを称せず。何ぞ其の玩読の膚浅なるや。孝孺の経済の学、忠義の節は貴ぶべし。不幸にして終はりを保たず。惜しむべきかな。
現代語訳
方孝孺の文章は、しばしば義理を明らかにし、政治の道を補うものが多いのです。その「戒恃才」の一篇は、戒めとして最も切実です。君主や宰相となる人がよく読むべきものです。病に応じた薬や鍼とすべきでしょう。普通の人もみな、よく味わって読むべきです。屠漸山はこれを評して、ただ筆の勢いや音調をほめるだけで、世の教えに関わることをほめませんでした。なんと読み方の浅いことでしょう。孝孺の経世済民の学問と忠義の節操は貴ぶべきものです。不幸にして天寿を全うできませんでした。惜しいことです。
解説
方孝孺は明初の儒者で、建文帝に仕えましたが、帝位を奪った永楽帝から即位の詔を書くよう命じられて拒み、一族とともに処刑されました。前にも引かれた遜志斎は彼の号です。「戒恃才」は才能を恃むことを戒めた文とみられます。益軒は、文章を修辞の巧拙だけで評する読み方を浅いと批判し、何を教えているかを読むべきだと言います。本を読むとき、表現の見事さに感心するだけでなく、自分の行いにどう生かせるかを考えて読む。それが益軒の求めた読書のあり方です。
この章句が説くこと
読書方孝孺恃才忠義治道
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