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慎思録 / 巻之五

范華陽胡致堂。其爲人也英邁。其議論激發。其所作。范氏有唐鑑。伊川之所稱譽。最爲好書。胡氏有讀史管見。二子之書。立論也純正。宇宙之間。不可無此議論。誠可爲後世之龜鑑。故二子之論。朱子綱目屢引之。然愚嘗謂。東坡之言曰。春秋之法。論道貴嚴。責人貴寛。此言宜矣。然則二子之責古人。恐惡不仁過甚。而不寬者。吾未知其可也否。

新字:范華陽胡致堂。其為人也英邁。其議論激発。其所作。范氏有唐鑑。伊川之所称誉。最為好書。胡氏有読史管見。二子之書。立論也純正。宇宙之間。不可無此議論。誠可為後世之亀鑑。故二子之論。朱子綱目屡引之。然愚嘗謂。東坡之言曰。春秋之法。論道貴厳。責人貴寛。此言宜矣。然則二子之責古人。恐悪不仁過甚。而不寛者。吾未知其可也否。

書き下し

范華陽・胡致堂、其の人と為りや英邁、其の議論激発す。其の作る所、范氏に唐鑑有り、伊川の称誉する所にして、最も好書と為す。胡氏に読史管見有り。二子の書、論を立つるや純正にして、宇宙の間、此の議論無かるべからず。誠に後世の亀鑑と為すべし。故に二子の論、朱子の綱目屢之を引く。然れども愚嘗て謂ふ、東坡の言に曰く、春秋の法、道を論ずるは厳を貴び、人を責むるは寛を貴ぶ、と。此の言宜なり。然らば則ち二子の古人を責むる、恐らくは不仁を悪むこと甚だしきに過ぎて、寛ならざる者は、吾未だ其の可なるや否やを知らず。

現代語訳

范華陽(范祖禹)と胡致堂(胡寅)は、人柄がすぐれて鋭く、議論は激しく奮い立つものでした。その著作として、范氏には『唐鑑』があり、伊川が称賛したもので、最もよい書です。胡氏には『読史管見』があります。二人の書は論の立て方が純正で、この世にこうした議論はなくてはならず、まことに後世の手本とすべきものです。だから朱子の『綱目』はしばしば二人の論を引いています。しかし私はかつてこう考えました。東坡は「春秋の法では、道を論じるには厳しさを貴び、人を責めるには寛さを貴ぶ」と言っています。この言葉はもっともです。そうであれば、二人が古人を責める仕方は、不仁を憎むことが度を越して寛さを欠いているようで、それがよいことかどうか私にはわかりません。

解説

益軒は北宋の范祖禹『唐鑑』と南宋の胡寅『読史管見』を高く評価しつつ、その人物批評の厳しさに疑問を呈します。朱子の『資治通鑑綱目』がこの二書をよく引くことも踏まえ、なお東坡の「道には厳、人には寛」という区別を物差しにしています。原理原則は厳しく守りつつ、過去の人を裁くときには事情を汲む、という態度です。職場で失敗を振り返るときも、基準は曖昧にせず、関わった人への評価には寛さを残す、という使い分けとして生かせます。

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