慎思録 / 巻之五
剛柔者性也。不可變。然善惡因所習而移。剛惡者習而爲剛善。柔惡者習而爲柔善。苟自幼早諭敎。用功久。則無不可變之理。所謂習而成性。習慣如自然也。雖有美質之人。習而爲惡。則陷溺也易。此習不善而成性也。雖有偏陋之質。習爲善則遷移也不難。此習善而成性也。
新字:剛柔者性也。不可変。然善悪因所習而移。剛悪者習而為剛善。柔悪者習而為柔善。苟自幼早諭教。用功久。則無不可変之理。所謂習而成性。習慣如自然也。雖有美質之人。習而為悪。則陥溺也易。此習不善而成性也。雖有偏陋之質。習為善則遷移也不難。此習善而成性也。
書き下し
剛柔は性なり。変ずべからず。然れども善悪は習ふ所に因りて移る。剛悪の者は習ひて剛善と為り、柔悪の者は習ひて柔善と為る。苟も幼より早く諭教し、功を用ふること久しければ、則ち変ずべからざるの理無し。所謂習ひて性と成り、習慣は自然の如しといふものなり。美質有るの人と雖も、習ひて悪を為せば、則ち陥溺すること易し。此れ不善に習ひて性と成るなり。偏陋の質有りと雖も、善を為すに習へば則ち遷移すること難からず。此れ善に習ひて性と成るなり。
現代語訳
剛と柔とは生まれつきの性であって、変えることはできません。しかし善と悪とは、習うことによって移ります。剛の悪を持つ者は、習うことで剛の善となり、柔の悪を持つ者は、習うことで柔の善となります。もし幼いうちから早く諭し教え、長く努力を重ねれば、変えられないという理はありません。いわゆる「習いが性となり、習慣は自然のようになる」ということです。美しい素質のある人でも、悪に習えば溺れるのはたやすいのです。これは不善に習って性となったのです。偏った狭い素質があっても、善をなすことに習えば、移り変わるのは難しくありません。これは善に習って性となったのです。
解説
剛善・剛悪・柔善・柔悪は、北宋の周敦頤が『通書』師第七で示した分類です。周敦頤は、剛にも柔にも善悪があり、教育によって悪を去り中に至らせると説きました。「習ひて性と成る」は『書経』太甲上の言葉、「習慣は自然の如し」は『漢書』賈誼伝などに見える言葉です。益軒は、気の強さ弱さという性格の型は変わらなくても、それが善に出るか悪に出るかは習慣で変えられると言います。自分の性格を変えようとするより、その性格を良い方向に使う習慣をつくる。現実的で希望のある人間観です。
この章句が説くこと
剛柔習慣気質教育善悪
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