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慎思録 / 巻之五

世人衣服器用。好詭異華飾。爭相尙之。常從時好而變矣。風俗之移人也如此。可不畏乎。書曰。非知之艱。行之惟艱。是爲知之而不行者言之也。其實行之易。知之艱。何則十室之邑。有忠信之人能行者。况古今德行敦厚之人不少。然知道者少矣。甚哉知之艱也。程子曰。非特行難。知之亦難也。古非無美材善行在。然鮮能明道。以此見知之亦難矣。愚謂。美材如諸葛武侯。善行如司馬温公。其餘三代以降。美材善行之人。不可枚記。然而知道者寡矣。所以知之艱也。然亦有知之一邊明。而行之一邊艱者。不可一槩而論也。

新字:世人衣服器用。好詭異華飾。争相尚之。常従時好而変矣。風俗之移人也如此。可不畏乎。書曰。非知之艱。行之惟艱。是為知之而不行者言之也。其実行之易。知之艱。何則十室之邑。有忠信之人能行者。況古今徳行敦厚之人不少。然知道者少矣。甚哉知之艱也。程子曰。非特行難。知之亦難也。古非無美材善行在。然鮮能明道。以此見知之亦難矣。愚謂。美材如諸葛武侯。善行如司馬温公。其余三代以降。美材善行之人。不可枚記。然而知道者寡矣。所以知之艱也。然亦有知之一辺明。而行之一辺艱者。不可一槩而論也。

書き下し

世人の衣服器用、詭異華飾を好み、争ひて相之を尚び、常に時の好みに従ひて変ず。風俗の人を移すや此くの如し。畏れざるべけんや。書に曰く、之を知るの艱きに非ず、之を行ふこと惟れ艱し、と。是れ之を知りて行はざる者の為に之を言ふなり。其の実は之を行ふは易く、之を知るは艱し。何となれば則ち十室の邑にも、忠信の人の能く行ふ者有り。况や古今徳行敦厚の人少なからず。然れども道を知る者は少なし。甚だしいかな之を知るの艱きや。程子曰く、特に行ふこと難きのみに非ず、之を知ることも亦難し。古より美材善行の在る無きに非ず。然れども能く道を明らかにするもの鮮し。此を以て之を知ることも亦難きを見る、と。愚謂ふ、美材は諸葛武侯の如く、善行は司馬温公の如し。其の余三代以降、美材善行の人、枚記すべからず。然り而して道を知る者は寡し。之を知るの艱き所以なり。然れども亦之を知るの一辺は明らかにして、之を行ふの一辺は艱き者有り。一概にして論ずべからざるなり。

現代語訳

世の人の衣服や道具は、奇抜で華やかな飾りを好み、競ってそれを尊び、いつもその時の好みに従って変わります。風俗が人を変えるのはこのようです。恐れずにいられましょうか。『書経』に「知ることが難しいのではない、行うことこそ難しいのだ」とあります。これは知っていて行わない者のために言ったのです。実際には行うことはやさしく、知ることは難しいのです。なぜなら、十軒ほどの小さな村にも、まごころと信義があってよく行う人がいます。まして昔から今まで、徳行の厚い人は少なくありません。しかし道を知る者は少ないのです。知ることのなんと難しいことでしょう。程子は「ただ行うことが難しいだけでなく、知ることも難しい。昔から優れた才能や善い行いの人がいなかったわけではない。しかし道を明らかにできる者は少ない。このことから知ることも難しいとわかる」と言いました。私が思うに、優れた才能は諸葛孔明のような人、善い行いは司馬温公のような人です。そのほか夏・殷・周の三代以後、優れた才能や善い行いの人は数えきれません。しかし道を知る者は少ないのです。これが知ることの難しいゆえんです。しかしまた、知る面は明らかでも、行う面が難しい者もいます。一概に論じてはなりません。

解説

冒頭は流行に流される風俗への戒めで、前の俗習の議論につながります。本題は知と行の難易です。「之を知るの艱きに非ず、之を行ふこと惟れ艱し」は『書経』説命中の言葉、「十室の邑にも忠信の人有り」は『論語』公冶長篇の言葉です。益軒は程子の説を引いて、善行の人は多くても道を本当に知る人は少ないと言います。諸葛亮や司馬光ほどの人でも道を知るとは言えないという評価は、朱子学の厳しい基準を示しています。まじめに働くことと、なぜそうするのかを深く理解することとは別の力だと気づかせてくれます。

この章句が説くこと

知行俗習程子書経

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