慎思録 / 巻之五
人之爲惡也。德性蔽固而不明故而巳。其所由者三焉。氣質也。人欲也。俗習也。此惡之所以行也。人之爲善也。因不爲氣質所拘。不爲人欲所蔽。不爲俗習所移。苟無此三者之害。則德性開發而不塞。此善之所以行也。夫氣質人欲之爲拘蔽也。固多矣。且爲俗習所移者。其害亦不少矣。學者之所當省察也。
新字:人之為悪也。徳性蔽固而不明故而巳。其所由者三焉。気質也。人欲也。俗習也。此悪之所以行也。人之為善也。因不為気質所拘。不為人欲所蔽。不為俗習所移。苟無此三者之害。則徳性開発而不塞。此善之所以行也。夫気質人欲之為拘蔽也。固多矣。且為俗習所移者。其害亦不少矣。学者之所当省察也。
書き下し
人の悪を為すや、徳性蔽固して明らかならざるが故のみ。其の由る所の者三つ。気質なり、人欲なり、俗習なり。此れ悪の行はるる所以なり。人の善を為すや、気質の拘する所と為らず、人欲の蔽ふ所と為らず、俗習の移す所と為らざるに因る。苟も此の三者の害無ければ、則ち徳性開発して塞がらず。此れ善の行はるる所以なり。夫れ気質人欲の拘蔽を為すや、固より多し。且つ俗習の移す所と為る者も、其の害亦少なからず。学者の当に省察すべき所なり。
現代語訳
人が悪をなすのは、生まれつきの徳性が覆われ閉ざされて明らかでないからにほかなりません。その原因は三つあります。気質、人欲、世俗の習いです。これが悪の行われる理由です。人が善をなすのは、気質に縛られず、人欲に覆われず、世俗の習いに流されないからです。もしこの三つの害がなければ、徳性は開かれて塞がれません。これが善の行われる理由です。気質や人欲が縛り覆うことは、もちろん多いのです。そのうえ世俗の習いに流されることの害も少なくありません。学ぶ者がよく省みるべきことです。
解説
朱子学では、人の本性は善であり、悪は気質の偏りや人欲によって本性が覆われることから生じると考えます。益軒はこれに俗習、つまり周りの風習や習慣の影響を加えて三つとします。俗習を独立させたところに、人間を社会の中で見る益軒の現実的な目があります。生まれつきの癖、自分の欲、周囲の空気。自分が望ましくない行動をとってしまうとき、そのどれが原因なのかを見分けると対処しやすくなります。特に周りに流される害は気づきにくいので、意識的に省みる必要があるのです。
この章句が説くこと
気質人欲俗習徳性省察
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