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慎思録 / 巻之五

心體於萬物。爲仁。一物不體。非仁也。事功之學。雖似有適用之益。要其歸趣。是貴才力賤德義。捨理而尙氣者也。即是小人之事。不可爲君子之道。非伯術而何。子謂子夏曰。女爲君子儒。無爲小人儒。此可爲學者之規戒。君子之道。以才德兼備爲貴。而才爲德之奴。德爲才之主。苟貴奴而賤主。是可謂君臣倒置也。範我馳驅。終日不獲一禽者。不可爲賤工。詭遇而獲禽者。不可爲良工。若有德而才不足。亦不失爲君子矣。苟才有餘而無德。則非小人而何。楊氏論管仲與子路。其說見于孟子註。於此亦可見事功之學非聖門所傳之旨也。

新字:心体於万物。為仁。一物不体。非仁也。事功之学。雖似有適用之益。要其帰趣。是貴才力賤徳義。捨理而尚気者也。即是小人之事。不可為君子之道。非伯術而何。子謂子夏曰。女為君子儒。無為小人儒。此可為学者之規戒。君子之道。以才徳兼備為貴。而才為徳之奴。徳為才之主。苟貴奴而賤主。是可謂君臣倒置也。範我馳駆。終日不獲一禽者。不可為賤工。詭遇而獲禽者。不可為良工。若有徳而才不足。亦不失為君子矣。苟才有余而無徳。則非小人而何。楊氏論管仲与子路。其説見于孟子註。於此亦可見事功之学非聖門所伝之旨也。

書き下し

心万物を体するを、仁と為す。一物も体せざれば、仁に非ざるなり。事功の学は、適用の益有るに似たりと雖も、其の帰趣を要すれば、是れ才力を貴び徳義を賤しみ、理を捨てて気を尚ぶ者なり。即ち是れ小人の事にして、君子の道と為すべからず。伯術に非ずして何ぞや。子、子夏に謂ひて曰く、女君子の儒と為れ、小人の儒と為ること無かれ、と。此れ学者の規戒と為すべし。君子の道は、才徳兼備を以て貴しと為す。而して才は徳の奴たり、徳は才の主たり。苟も奴を貴びて主を賤しむれば、是れ君臣倒置と謂ふべし。我が馳駆を範して、終日一禽をも獲ざる者は、賤工と為すべからず。詭遇して禽を獲る者は、良工と為すべからず。若し徳有りて才足らざるも、亦君子たるを失はず。苟も才余り有りて徳無ければ、則ち小人に非ずして何ぞや。楊氏の管仲と子路とを論ずる、其の説孟子の註に見ゆ。此に於ても亦事功の学の聖門の伝ふる所の旨に非ざることを見るべし。

現代語訳

心が万物を自分の身のように受けとめるのを仁といいます。一つの物でも身のように受けとめないなら、仁ではありません。事功の学は、実際に役立つ利益があるように見えますが、その行き着くところを要約すれば、才力を貴んで徳義を賤しみ、理を捨てて気を尊ぶものです。つまり小人のすることであり、君子の道とすることはできません。覇者の術でなくて何でしょうか。孔子は子夏に「お前は君子の儒となれ、小人の儒となってはならない」と言いました。これは学ぶ者の戒めとすべきです。君子の道は才と徳を兼ね備えることを貴びます。そして才は徳の召使いであり、徳は才の主人です。もし召使いを貴んで主人を賤しむなら、君臣が逆さまになったと言うべきです。規則どおりに車を走らせて一日中一羽の鳥も獲れない者を、下手な御者としてはなりません。反則の走らせ方で鳥を獲る者を、よい御者としてはなりません。もし徳があって才が足りなくても、君子であることを失いません。もし才が余りあって徳がなければ、小人でなくて何でしょうか。楊氏が管仲と子路を論じたもので、その説は『孟子』の注に見えます。ここからも、事功の学は孔子の門で伝えられた趣旨ではないことがわかります。

解説

事功の学とは、南宋の陳亮や葉適らが唱えた、実際の功績や成果を重んじる学派をいい、朱子と激しく論争しました。益軒はこれを才を徳より上に置く覇術だと退けます。「君子の儒と為れ」は『論語』雍也篇、正しい御し方で獲物がなくとも恥じない御者の話は『孟子』滕文公下の王良の故事です。才は徳の奴、徳は才の主という言い方は、前の才徳論とつながっています。成果さえ出せば手段は問わないという考えは、組織を短期的に強くしても、長い目で信頼を損ないます。成果の出し方そのものが問われるのです。

この章句が説くこと

事功覇術

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