童子問 / 卷上
問。德莫大於愛人。故孔門以仁爲學問之宗旨。願終其說。曰。仁之爲德。豈可以言盡口悉乎。王天下。則及于天下。君一國。則及于一國。主一家。則及于一家。爲父則及于其子。爲夫則及于其妻。爲兄則及于其弟。爲弟則及于其兄。以此治身。則身修矣。以此處事。則事成矣。我能愛人。人亦愛我。相親相愛。如父母之親。如兄弟之睦。無行而不得。無事而不成。如舜之一年成聚。二年成邑。三年成都。成湯東面而征西夷怨。南面而征北狄怨。是仁之効也。不仁者反之。殘忍忮害。衆叛親離。不至死亡。則不止。故仁者。道德之大本。學問之極致。天下之善。莫過於此。童子曰諾。
新字:問。徳莫大於愛人。故孔門以仁為学問之宗旨。願終其説。曰。仁之為徳。豈可以言尽口悉乎。王天下。則及于天下。君一国。則及于一国。主一家。則及于一家。為父則及于其子。為夫則及于其妻。為兄則及于其弟。為弟則及于其兄。以此治身。則身修矣。以此処事。則事成矣。我能愛人。人亦愛我。相親相愛。如父母之親。如兄弟之睦。無行而不得。無事而不成。如舜之一年成聚。二年成邑。三年成都。成湯東面而征西夷怨。南面而征北狄怨。是仁之効也。不仁者反之。残忍忮害。衆叛親離。不至死亡。則不止。故仁者。道徳之大本。学問之極致。天下之善。莫過於此。童子曰諾。
書き下し
問ふ、徳は人を愛するより大なるは莫し。故に孔門仁を以て学問の宗旨と為す。願はくは其の説を終へよ。曰く、仁の徳為る、豈に言を以て尽くし口もて悉くすべけんや。天下に王たれば則ち天下に及び、一国に君たれば則ち一国に及び、一家を主とすれば則ち一家に及ぶ。父と為りては則ち其の子に及び、夫と為りては則ち其の妻に及び、兄と為りては則ち其の弟に及び、弟と為りては則ち其の兄に及ぶ。此を以て身を治むれば則ち身修まり、此を以て事に処すれば則ち事成る。我能く人を愛すれば、人も亦我を愛す。相親しみ相愛すること、父母の親しむが如く、兄弟の睦まじきが如し。行ひて得ざる無く、事として成らざる無し。舜の一年にして聚を成し、二年にして邑を成し、三年にして都を成し、成湯の東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨むが如き、是れ仁の効なり。不仁者は之に反す。残忍忮害して、衆叛き親離れ、死亡に至らざれば則ち止まず。故に仁は道徳の大本、学問の極致にして、天下の善、此に過ぐるは莫し。童子曰く、諾。
現代語訳
問う。徳は人を愛することより大きなものはない。だから孔門は仁を学問の宗旨とした。どうかその説を最後まで聞かせていただきたい。答える。仁という徳を、どうして言葉で言い尽くし、口で述べ尽くすことができようか。天下に王となれば天下に及び、一国の君となれば一国に及び、一家の主となれば一家に及ぶ。父となればその子に及び、夫となればその妻に及び、兄となればその弟に及び、弟となればその兄に及ぶ。これによって身を治めれば身は修まり、これによって事に当たれば事は成就する。自分がよく人を愛すれば、人もまた自分を愛する。互いに親しみ愛し合うことは、父母が親しむようであり、兄弟が睦まじいようである。何を行っても得られないことはなく、何事も成就しないことはない。舜のもとに一年で人が集まって村となり、二年で町となり、三年で都となったことや、殷の湯王が東に向かって征伐すると西の民が(後回しにされたと)恨み、南に向かって征伐すると北の民が恨んだことなどが、仁の効果である。不仁な者はこれと反対である。残忍で人を損ない、民衆は背き親族は離れ、死に至らなければ止まない。だから仁は道徳の大本であり、学問の極致であって、天下の善でこれに過ぎるものはない。童子は「わかりました」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之二・仁之上義礼智も、皆心の徳なれど、仁は義礼智を兼ねたれば、仁において、専ら心の徳と云ふ。たとへば一家の中、兄弟四人あれども、嫡子一人を以て、其弟を兼ぬるが如し。愛の理とは、心の徳の、いまだ外にあらはれざる内に、自ら物をあはれむ理をふくめるを云ふ。仁に愛の理あるは、飴の甘きが如く、醋のすきが如し。其内の味なり。たとへば俗語に、ひらかねど扇は風のつぼみかなといへるが如し。すべていへば、仁は心の徳也。わかちていへば、愛の理也。心の徳、愛の理の六字、朱子はじめて発明せる所、後の学者に功あり。是周子の徳愛を曰仁に本づけり。或曰、愛之理は発用を指せりと。此の説非なり。朱子曰く、愛の理とは、是れ乃ち其の体性を指して言ふと。此説の証とすべし。
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『五常訓』巻之二・仁之上然れば仁と愛と、体用のわかちあり。たとへば仁は扇なり、体なり。愛は扇を以て人をあふぐが如し。あふがずんば扇も用なし。あはれみなくんば、仁なんぞ用あらんや。すべて言へば、愛するも仁なり。たとへばあふぐも扇なるが如し。性情体用も皆仁なり。体用をわかちて見、又合せて見るべし。程子又曰く、仁は愛を主とす。是仁は愛の理をふくめるゆゑ、動きて人にまじはれば、専愛する事をつかさどれり。義の宜をつかさどり、礼の敬をつかさどるが如し。天地の万物を生ずる心は、即是天地の物を愛するの理なり。其理を人にうけて性とするは、即仁なれば、仁は人物を愛するを主とせり。朱子曰く、仁は心の徳、愛の理なり。心の徳とは、徳は得る也。天地の人物を生じ給ふ心を、我が心に得て、わが物となれる道理を徳と云ふ。
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『童子問』卷上問ふ、仁は畢竟愛に止まるか。曰く、畢竟愛に止まる。愛は実徳なり。愛に非ざれば則ち以て其の徳を見ること無し。苟も一毫も残忍刻薄忮害の心有れば、則ち仁と為すことを得ず。故に学仁に至れば、便ち実徳と為る。種種の善行は、皆其の推なり。仁の徳、其の余波溥いかな。
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『童子問』卷上問ふ、仁の成徳、亦得て之を聞くべきか。曰く、可なり。慈愛の心、渾淪通徹し、内より外に及び、至らざる所無く、達せざる所無くして、一毫も残忍刻薄の心無き、正に之を仁と謂ふ。此に存して彼に行はれざるは、仁に非ざるなり。一人に施して十人に及ばざるは、仁に非ざるなり。瞬息に存し、夢寐に通じ、心愛を離れず、愛心に全く、打して一片と成る、正に是れ仁なり。故に徳は人を愛するより大なるは莫く、物を忮ふより不善なるは莫し。孔門仁を以て学問の宗旨と為すは、蓋し此が為なり。
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『童子問』卷上問ふ、仁の徳を成すに至らずと雖も、亦之を仁と謂ふべき者有るか。曰く、一事の微と雖も、其の愛実心に出でて、利沢人に及べば、則ち亦之を仁と謂ふべきなり。徒に之を仁の功と謂ふべきのみに非ず。
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『童子問』卷上問ふ、南軒張子、論語中の仁を言ふ諸章を類聚して一編と為し、名づけて洙泗言仁録と曰ふ。当れるか。曰く、然らず。魯論二十篇、頭より尾に至るまで、一言として仁に非ざる無し。南軒は唯仁を言ふ処の仁為るを知りて、仁を言はざる処も亦総て是れ仁なることを知らず。大伝に固より言ふ、「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智と謂ふ。百姓は日に用ひて知らず。故に君子の道鮮し」と。然れども仁は徳の長なり。学仁に至れば、則ち衆徳合湊す。故に子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ。仁其の中に在り」と。夫れ博学篤志、切問近思は、皆学問の事なり。子夏何を以て仁其の中に在りと言ふや。蓋し仁は聖門学問の宗旨にして、仁の外に所謂学問なる者無きなり。諸老先生皆理に依りて之を解す。仁の義を去ること益々遠し。
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