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五常訓 / 巻之二・仁之上

然れば仁と愛と、體用のわかちあり。たとへば仁は扇なり、體なり。愛は扇を以て人をあふぐが如し。あふがずんば扇も用なし。あはれみなくんば、仁なんぞ用あらんや。すべて言へば、愛するも仁なり。たとへばあふぐも扇なるが如し。性情體用も皆仁なり。體用をわかちて見、又合せて見るべし。程子又曰、仁主於愛。是仁は愛の理をふくめるゆゑ、動きて人にまじはれば、專愛する事をつかさどれり。義の宜をつかさどり、禮の敬をつかさどるが如し。天地の萬物を生ずる心は、卽是天地の物を愛するの理なり。其理を人にうけて性とするは、卽仁なれば、仁は人物を愛するを主とせり。朱子曰、仁心之德、愛之理。心の德とは、德は得る也。天地の人物を生じ給ふ心を、我が心に得て、わが物となれる道理を德と云ふ。

新字:然れば仁と愛と、体用のわかちあり。たとへば仁は扇なり、体なり。愛は扇を以て人をあふぐが如し。あふがずんば扇も用なし。あはれみなくんば、仁なんぞ用あらんや。すべて言へば、愛するも仁なり。たとへばあふぐも扇なるが如し。性情体用も皆仁なり。体用をわかちて見、又合せて見るべし。程子又曰、仁主於愛。是仁は愛の理をふくめるゆゑ、動きて人にまじはれば、専愛する事をつかさどれり。義の宜をつかさどり、礼の敬をつかさどるが如し。天地の万物を生ずる心は、即是天地の物を愛するの理なり。其理を人にうけて性とするは、即仁なれば、仁は人物を愛するを主とせり。朱子曰、仁心之徳、愛之理。心の徳とは、徳は得る也。天地の人物を生じ給ふ心を、我が心に得て、わが物となれる道理を徳と云ふ。

書き下し

然れば仁と愛と、体用のわかちあり。たとへば仁は扇なり、体なり。愛は扇を以て人をあふぐが如し。あふがずんば扇も用なし。あはれみなくんば、仁なんぞ用あらんや。すべて言へば、愛するも仁なり。たとへばあふぐも扇なるが如し。性情体用も皆仁なり。体用をわかちて見、又合せて見るべし。程子又曰く、仁は愛を主とす。是仁は愛の理をふくめるゆゑ、動きて人にまじはれば、専愛する事をつかさどれり。義の宜をつかさどり、礼の敬をつかさどるが如し。天地の万物を生ずる心は、即是天地の物を愛するの理なり。其理を人にうけて性とするは、即仁なれば、仁は人物を愛するを主とせり。朱子曰く、仁は心の徳、愛の理なり。心の徳とは、徳は得る也。天地の人物を生じ給ふ心を、我が心に得て、わが物となれる道理を徳と云ふ。

現代語訳

それゆえ仁と愛とには、本体と働きの区別があります。たとえば仁は扇であり、本体です。愛は扇で人をあおぐようなものです。あおがなければ扇も役に立ちません。あわれみがなければ、仁にどうして働きがあるでしょうか。まとめていえば、愛するのも仁です。たとえば、あおぐのも扇であるようなものです。性・情・体・用もみな仁です。体と用とを分けて見、また合わせて見るべきです。程子はまた「仁は愛を主とする」といいました。これは仁が愛の理を含んでいるので、動いて人と交われば、もっぱら愛することをつかさどるということです。義が宜しさをつかさどり、礼が敬をつかさどるようなものです。天地が万物を生ずる心は、すなわち天地が物を愛する理です。その理を人が受けて性とするのが、すなわち仁であるから、仁は人や物を愛することを主とするのです。朱子は「仁は心の徳、愛の理である」といいました。心の徳とは、徳は「得る」ことです。天地が人や物を生じられる心を、自分の心に得て、自分のものとなった道理を徳といいます。

解説

仁を扇に、愛を扇であおぐことにたとえ、本体と働きは分けても合わせても見るべきだと説いています。身近な道具を使った比喩は益軒の得意とするところです。程頤の「仁は愛を主とす」、朱子の『論語集注』にある「仁は心の徳、愛の理」という有名な定義を紹介し、徳を「得る」と読む伝統的な字義解釈も示しています。道具を持っているだけでは役に立たないように、優しい心も行動に移してこそ意味を持つという教えは、日々の実践を大切にする姿勢につながります。

この章句が説くこと

仁愛徳朱子程子

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