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五常訓 / 巻之二・仁之上

義禮智も、皆心の德なれど、仁は義禮智を兼ねたれば、仁において、專ら心の德と云ふ。たとへば一家の中、兄弟四人あれども、嫡子一人を以て、其弟を兼ぬるが如し。愛の理とは、心の德の、いまだ外にあらはれざる内に、自ら物をあはれむ理をふくめるを云ふ。仁に愛の理あるは、飴の甘きが如く、醋のすきが如し。其内の味なり。たとへば俗語に、ひらかねど扇は風のつぼみかなといへるが如し。すべていへば、仁は心の德也。わかちていへば、愛の理也。心之德、愛之理の六字、朱子はじめて發明せる所、後の學者に功あり。是周子の德愛を曰仁に本づけり。或曰、愛之理は發用を指せりと。此說非也。朱子曰、愛之理者、是乃指其體性而言。此說の證とすべし。

新字:義礼智も、皆心の徳なれど、仁は義礼智を兼ねたれば、仁において、専ら心の徳と云ふ。たとへば一家の中、兄弟四人あれども、嫡子一人を以て、其弟を兼ぬるが如し。愛の理とは、心の徳の、いまだ外にあらはれざる内に、自ら物をあはれむ理をふくめるを云ふ。仁に愛の理あるは、飴の甘きが如く、醋のすきが如し。其内の味なり。たとへば俗語に、ひらかねど扇は風のつぼみかなといへるが如し。すべていへば、仁は心の徳也。わかちていへば、愛の理也。心之徳、愛之理の六字、朱子はじめて発明せる所、後の学者に功あり。是周子の徳愛を曰仁に本づけり。或曰、愛之理は発用を指せりと。此説非也。朱子曰、愛之理者、是乃指其体性而言。此説の証とすべし。

書き下し

義礼智も、皆心の徳なれど、仁は義礼智を兼ねたれば、仁において、専ら心の徳と云ふ。たとへば一家の中、兄弟四人あれども、嫡子一人を以て、其弟を兼ぬるが如し。愛の理とは、心の徳の、いまだ外にあらはれざる内に、自ら物をあはれむ理をふくめるを云ふ。仁に愛の理あるは、飴の甘きが如く、醋のすきが如し。其内の味なり。たとへば俗語に、ひらかねど扇は風のつぼみかなといへるが如し。すべていへば、仁は心の徳也。わかちていへば、愛の理也。心の徳、愛の理の六字、朱子はじめて発明せる所、後の学者に功あり。是周子の徳愛を曰仁に本づけり。或曰、愛之理は発用を指せりと。此の説非なり。朱子曰く、愛の理とは、是れ乃ち其の体性を指して言ふと。此説の証とすべし。

現代語訳

義礼智もみな心の徳ですが、仁は義礼智をかねているので、仁についてもっぱら心の徳というのです。たとえば一家の中に兄弟が四人いても、嫡子一人によってその弟たちをかねるようなものです。愛の理とは、心の徳がまだ外に現れない内に、おのずから物をあわれむ理を含んでいることをいいます。仁に愛の理があるのは、飴が甘く、酢が酸っぱいようなものです。その内にある味です。たとえば俗語に「開かねど扇は風のつぼみかな」というようなものです。まとめていえば、仁は心の徳です。分けていえば、愛の理です。「心の徳、愛の理」の六字は、朱子が初めて明らかにしたもので、後の学者に功績があります。これは周子の「徳の愛を仁という」にもとづいています。ある人は「愛の理とは働きを指している」といいます。この説は誤りです。朱子が「愛の理とは、その本体である性を指していったものだ」といっているのが、この説の証拠となります。

解説

朱子の「心の徳、愛の理」という六字の定義を詳しく解説しています。仁が他の三徳をかねることを、家を継ぐ嫡子が弟たちを代表することにたとえ、愛の理を飴の甘さや酢の酸っぱさという内なる味にたとえています。「開かねど扇は風のつぼみかな」は、開く前から風を含む扇を詠んだ句で、まだ現れていない愛を見事に言い表しています。表に出る前から心の中に優しさがあるという考えは、口数が少なくても思いやりを持つ人の良さを見抜く目を養ってくれます。

この章句が説くこと

仁愛徳朱子扇

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