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弁道 / 第七則

如孔子曰據於德。依於仁。人各據其性之德而不失之。性之德雖多端。皆不害於仁。祇未能養而成之。故悖於道。養之道。在依於仁游於藝。依者如聲依永之依也。樂聲必與詠歌相依。淸濁以之。節奏以之。依之謂也。依於仁亦爾。人雖各據其德。亦必和順於先王安天下之道。不敢違之。然後足以各成其德。此孔門之敎也。大氏先王孔子之道。皆有所運用營爲。而其要在養以成焉。然後人迫切之見。急欲以仁盡一切。是以不得不跳而之理。而究其說。乃不過浮屠法身徧一切之歸。悲哉。

新字:如孔子曰拠於徳。依於仁。人各拠其性之徳而不失之。性之徳雖多端。皆不害於仁。祇未能養而成之。故悖於道。養之道。在依於仁游於芸。依者如声依永之依也。楽声必与詠歌相依。清濁以之。節奏以之。依之謂也。依於仁亦爾。人雖各拠其徳。亦必和順於先王安天下之道。不敢違之。然後足以各成其徳。此孔門之教也。大氏先王孔子之道。皆有所運用営為。而其要在養以成焉。然後人迫切之見。急欲以仁尽一切。是以不得不跳而之理。而究其説。乃不過浮屠法身遍一切之帰。悲哉。

書き下し

孔子の「徳に拠り、仁に依る」と曰ふが如き、人各〻其の性の徳に拠りて之を失はず。性の徳は多端なりと雖も、皆仁を害せず。祇だ未だ養ひて之を成すこと能はず、故に道に悖る。養ふの道は、仁に依り芸に游ぶに在り。依るとは「声は永に依る」の依の如きなり。楽声は必ず詠歌と相依り、清濁之を以てし、節奏之を以てす。依るの謂なり。仁に依るも亦た爾り。人各〻其の徳に拠ると雖も、亦た必ず先王の天下を安んずるの道に和順して、敢へて之に違はず。然る後に以て各〻其の徳を成すに足る。此れ孔門の教へなり。大氐先王孔子の道は、皆運用営為する所有りて、其の要は養ひて以て成すに在り。然るに後人迫切の見、急に仁を以て一切を尽くさんと欲す。是を以て跳りて理に之かざるを得ず。而して其の説を究むれば、乃ち浮屠の法身一切に徧きの帰に過ぎず。悲しいかな。

現代語訳

たとえば孔子が「徳に拠り、仁に依る」と言ったのは、人はそれぞれ自分の性に備わる徳に拠り、それを失わないということである。性の徳はさまざまだが、どれも仁を妨げはしない。ただそれを養い育てることができないので、道に背くのである。養う方法は「仁に依り、芸に遊ぶ」ことにある。「依る」とは『書経』の「声は永(歌の長く引く調子)に依る」の「依る」と同じである。楽の音は必ず歌と寄り添い、清濁もそれに従い、拍子もそれに従う。これが「依る」ということである。仁に依るのも同じである。人はそれぞれ自分の徳に拠りながらも、必ず先王の天下を安んずる道に和やかに従い、あえて背かない。そうしてこそ、それぞれの徳を成し遂げられる。これが孔子の門の教えである。おおよそ先王・孔子の道は、どれも運用し営むところがあり、その要は養って育て上げることにある。ところが後世の人は切迫した見方で、急いで仁ですべてを尽くそうとした。そのため飛躍して理に行かざるをえなかった。その説を突き詰めれば、仏教の「法身があらゆるものに遍く行き渡る」という説に行き着くにすぎない。悲しいことである。

解説

第七則の結びは、『論語』述而篇の「徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ」の読み解きである。人は自分の性に備わる徳に拠りつつ、楽の音が歌に寄り添うように、天下を安んずる先王の道に和して従うことで、それぞれの徳を成し遂げられると徂徠は言う。道の要は養い育てることにあり、急いで仁ですべてを説明しようとすると理に飛躍し、仏教の法身説に行き着くと批判する。個性を消さずに全体の調べに合わせるという「依る」の比喩は、チームで働く人の姿勢をよく言い表している。

この章句が説くこと

仁徳養う礼楽論語個性

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