武訓 / 下・第33段
范文正公の曰、將の、古今の事をしらざるは、匹夫の勇なり。大將は、ひろく學問して、古今の事に通じて知るべし。一人の勇をたのむべからず。それは、匹夫の事なり。
新字:范文正公の曰、将の、古今の事をしらざるは、匹夫の勇なり。大将は、ひろく学問して、古今の事に通じて知るべし。一人の勇をたのむべからず。それは、匹夫の事なり。
書き下し
范文正公の曰、將の、古今の事をしらざるは、匹夫の勇なり。大將は、ひろく學問して、古今の事に通じて知るべし。一人の勇をたのむべからず。それは、匹夫の事なり。
現代語訳
范文正公は言う。将が古今の事を知らないのは、匹夫の勇である。大将は広く学問して、古今の事に通じて知るべきである。一人の勇を頼んではならない。それは匹夫のことである。
解説
范文正公の言葉を引いて、将が学問をする必要を説く短い段です。古今の事を知らない将は匹夫の勇にすぎず、大将は広く学問して古今に通じなければならない、一人の勇を頼んではならないと述べられます。「匹夫」は身分の低い一人の男を指す語で、個人の腕力や気概だけに頼る人を指します。ここは第16段の「古い記録を多く読め」という主張とも呼応しています。個人の経験や勘に頼る意思決定は、状況が変わると通用しなくなります。管理職や経営者が、過去の事例や他分野の知見を学び続けることは、判断の幅を広げる基本です。
この章句が説くこと
学問古今匹夫の勇范文正公将武訓
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