慎思録 / 巻之五
天下之事。謹其小。則其大者。亦隨而不差矣。如權衡尺度。只於分毫處。辨得分明。則至鈞石尋丈。亦無所差矣。徒博則泛濫而無功。非精究之道矣。徒約則固陋而寡聞。無貫通之理矣。二者非自得之道。博學而詳說之。將以說約。是所以自得之道也。
新字:天下之事。謹其小。則其大者。亦随而不差矣。如権衡尺度。只於分毫処。弁得分明。則至鈞石尋丈。亦無所差矣。徒博則泛濫而無功。非精究之道矣。徒約則固陋而寡聞。無貫通之理矣。二者非自得之道。博学而詳説之。将以説約。是所以自得之道也。
書き下し
天下の事、其の小を謹めば、則ち其の大なる者も、亦随ひて差はず。権衡尺度の如き、只分毫の処に於て、辨じ得て分明なれば、則ち鈞石尋丈に至るまで、亦差ふ所無し。徒に博なれば則ち泛濫して功無し。精究の道に非ず。徒に約なれば則ち固陋にして寡聞なり。貫通の理無し。二者は自得の道に非ず。博く学びて詳らかに之を説くは、将に以て約を説かんとするなり。是れ自得の道たる所以なり。
現代語訳
天下の事は、小さなところを謹めば、大きなところもそれにつれて間違いません。はかりやものさしのように、ほんのわずかなところで見分けがはっきりしていれば、重い目方や長い寸法に至るまで間違いがありません。ただ博いだけでは散漫で成果がありません。精しく究める道ではないのです。ただ要約するだけでは頑なで見聞が狭く、貫き通す理がありません。この二つはどちらも自ら会得する道ではありません。博く学んで詳しく説くのは、それによって要約を説こうとするためです。これが自ら会得する道なのです。
解説
前半は、細部を正確に押さえれば全体も狂わないという、秤や物差しのたとえです。鈞は三十斤、石は百二十斤、尋は八尺、丈は十尺の単位です。後半は『孟子』離婁下の「博く学びて詳らかに之を説くは、将に以て反りて約を説かんとするなり」を引いて、広く学ぶことと要点に絞ることの両方が要ると説きます。物知りなだけでも、狭い要点主義でもいけない。仕事でも、細部の正確さを積み重ね、幅広い知識を最後は自分の核心へ収斂させてこそ、本当に身についた力になります。
この章句が説くこと
博約自得精究謹小学問
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