慎思録 / 巻之五
陸放翁跋柳書曰。欲注杜詩。須去少陵地位不大遠。乃可下語。不然則勿注可也。今諸家徒欲以口耳之學揣摩得之。可乎。篤信謂。放翁斯語。能中後世妄述作者之膏肓。須有賢者之學。而後傳聖人之經也。不然則不免爲杜撰。如孟子之學到至處。所以能述孔子之道也。得孔孟之意。而發明之。作傳註者。止程朱而已矣。後世雖有豪傑之士。不可及而巳。
新字:陸放翁跋柳書曰。欲注杜詩。須去少陵地位不大遠。乃可下語。不然則勿注可也。今諸家徒欲以口耳之学揣摩得之。可乎。篤信謂。放翁斯語。能中後世妄述作者之膏肓。須有賢者之学。而後伝聖人之経也。不然則不免為杜撰。如孟子之学到至処。所以能述孔子之道也。得孔孟之意。而発明之。作伝註者。止程朱而已矣。後世雖有豪傑之士。不可及而巳。
書き下し
陸放翁、柳書に跋して曰く、杜詩に注せんと欲せば、須らく少陵の地位を去ること大いに遠からずして、乃ち語を下すべし。然らずんば則ち注すること勿くして可なり。今の諸家は徒に口耳の学を以て揣摩して之を得んと欲す。可ならんや、と。篤信謂ふ、放翁の斯の語、能く後世の妄りに述作する者の膏肓に中る。須らく賢者の学有りて、而る後に聖人の経を伝ふべし。然らずんば則ち杜撰たるを免れず。孟子の学の至る処に到るが如き、能く孔子の道を述ぶる所以なり。孔孟の意を得て之を発明し、伝註を作る者は、程朱に止まるのみ。後世豪傑の士有りと雖も、及ぶべからざるのみ。
現代語訳
陸放翁は柳の書に跋文を書いて「杜甫の詩に注をつけようとするなら、杜甫の境地から大きく離れていない者であって、初めて言葉を下すことができる。そうでなければ注をつけないほうがよい。今の諸家は、ただ耳で聞いて口で言うだけの学問で推し量って理解しようとしている。それでよいだろうか」と言いました。私篤信が思うに、放翁のこの言葉は、後世のみだりに著述する者の急所を突いています。賢者の学問があって初めて聖人の経を伝えることができるのです。そうでなければ杜撰を免れません。孟子の学問が至るところまで到ったので、孔子の道を述べることができたようなものです。孔孟の意を得てそれを明らかにし、伝や注を作った者は、程子と朱子だけです。後世に豪傑の士がいても、及ぶことはできないのです。
解説
この章句が説くこと
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