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慎思録 / 巻之五

以俗士爲史官。無見識。其猥俗粗謬。迷謬天下後世之禍不少矣。如李延壽爲南史。是也。况本邦之俗。古來昏迷于鬼神。妄信尙於詼誕。國史之外。野史苟記事者。無見識。則恐其迷謬逾於南史。亦甚遠矣。讀之者。於其猥陋。則不眩其神怪妖妄。而可也。

新字:以俗士為史官。無見識。其猥俗粗謬。迷謬天下後世之禍不少矣。如李延寿為南史。是也。況本邦之俗。古来昏迷于鬼神。妄信尚於詼誕。国史之外。野史苟記事者。無見識。則恐其迷謬逾於南史。亦甚遠矣。読之者。於其猥陋。則不眩其神怪妖妄。而可也。

書き下し

俗士を以て史官と為せば、見識無し。其の猥俗粗謬、天下後世を迷謬するの禍少なからず。李延寿の南史を為るが如き、是れなり。况や本邦の俗、古来鬼神に昏迷し、妄りに詼誕を信尚す。国史の外、野史苟も事を記す者、見識無ければ、則ち恐らくは其の迷謬南史に逾ゆること、亦甚だ遠からん。之を読む者、其の猥陋に於ては、則ち其の神怪妖妄に眩まされずして、可なり。

現代語訳

俗な人を歴史を記す役人にすると、見識がありません。その下品さや粗雑な誤りが、天下後世の人を迷わせる害は少なくありません。李延寿が『南史』を著したのがその例です。ましてわが国の風俗は、昔から鬼神のことに迷い、みだりにでたらめな話を信じ尊んできました。国の正史のほかに、民間の史書で事を記す者に見識がなければ、その迷い誤りは『南史』をはるかに超えるでしょう。これを読む者は、その下品で卑しいところについては、神怪や妖しい話に惑わされないでいればよいのです。

解説

李延寿は唐初の史家で、『南史』『北史』を著しました。『南史』は怪異や逸話を多く採ったことで、後世しばしば批判されます。益軒は、見識のない者が歴史を書けば、でたらめな話が事実として後世に伝わる害を憂えます。日本の野史や軍記物語にも神仏の霊験や怪異が多く、益軒は読者の側に判断力を求めます。益軒自身、『黒田家譜』や『筑前国続風土記』を編んだ実証的な記録者でした。情報があふれる今、書かれたものをそのまま信じず、出所と筋道を確かめて読む姿勢はいっそう大切です。

この章句が説くこと

歴史見識俗信読書史官

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