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慎思録 / 巻之五

孔孟雅言禮。其言理者罕矣。易曰。究理盡性。又曰。易簡而天下之理得矣。孟子曰。理義悅心。仲尼燕居子曰。禮者理也。樂記言滅天理等。止數語而已。語孟之中。禮字指理而言者多矣。然則何爲不直言理而言禮乎。朱子曰。禮即理也。但謂之理。無形迹之可言。禮即有品節文章之可見矣。由此觀之。聖賢不言理。而言禮者。有以也。

新字:孔孟雅言礼。其言理者罕矣。易曰。究理尽性。又曰。易簡而天下之理得矣。孟子曰。理義悦心。仲尼燕居子曰。礼者理也。楽記言滅天理等。止数語而已。語孟之中。礼字指理而言者多矣。然則何為不直言理而言礼乎。朱子曰。礼即理也。但謂之理。無形迹之可言。礼即有品節文章之可見矣。由此観之。聖賢不言理。而言礼者。有以也。

書き下し

孔孟は雅に礼を言ひ、其の理を言ふ者は罕なり。易に曰く、理を究め性を尽くす、と。又曰く、易簡にして天下の理得たり、と。孟子曰く、理義は心を悦ばしむ、と。仲尼燕居に子曰く、礼は理なり、と。楽記に天理を滅すと言ふ等、止数語のみ。語孟の中、礼の字の理を指して言ふ者多し。然らば則ち何為れぞ直ちに理を言はずして礼を言ふや。朱子曰く、礼は即ち理なり。但之を理と謂へば、形迹の言ふべき無し。礼は即ち品節文章の見るべき有り、と。此に由りて之を観れば、聖賢の理を言はずして礼を言ふ者は、以有るなり。

現代語訳

孔子と孟子は常に礼を語り、理を語ることはまれでした。『易』に「理を究め性を尽くす」とあり、また「易簡であって天下の理が得られる」とあります。孟子は「理と義は心を悦ばせる」と言いました。『礼記』仲尼燕居に孔子が「礼とは理である」と言い、楽記に「天理を滅ぼす」と言うなど、わずか数語にすぎません。『論語』『孟子』の中では、礼の字で理を指して言っているものが多いのです。では、なぜ直接理を言わずに礼を言ったのでしょうか。朱子は「礼はすなわち理である。ただ理と言えば、形に表して言えるものがない。礼には等級や作法の見えるものがある」と言いました。これから見ると、聖賢が理を言わずに礼を言ったのには理由があるのです。

解説

朱子学は理を中心に据えた体系ですが、益軒は、孔子や孟子自身は理という言葉をほとんど使わず、礼を語ったことに注目します。引かれるのは『易経』説卦伝・繋辞上伝、『孟子』告子上、『礼記』仲尼燕居・楽記です。朱子の説明によれば、理は形がなく捉えにくいが、礼は具体的な作法として見て行えるからです。抽象的な理念を掲げるより、目に見える行動の型として示すほうが人に伝わる。組織の価値観も、スローガンより日々の具体的な振る舞いとして示してこそ根づくのと同じです。

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