酔古堂剣掃 / 集韻・山は虛を以て受く
山以虛而受,水以實而流,讀書當作如是觀。
新字:山以虚而受,水以実而流,読書当作如是観。
書き下し
山は虛を以て受け、水は實を以て流る、書を讀むも當に是くの如き觀を作すべし。
現代語訳
山は内に空虚があるからこそ物を受け入れ、水は中身が満ちているからこそ流れていきます。書物を読むときも、このような見方をすべきです。
解説
読書の心構えを山と水にたとえた一則です。山は谷や洞を持ち、その空いたところに雲や水、草木を受け入れます。一方、水は満ちてあふれるからこそ流れていきます。虚と実という正反対の性質を並べ、読書にはその両方が必要だと言うのです。書を読むときは、先入観を捨てて心を空にし、書物の言葉を素直に受け入れなければなりません。そして読んで得たものが内に満ちてくれば、それはおのずと言葉や行いとなって流れ出していきます。受け入れる謙虚さと、学んだことを外へ生かす実行力、その両方をそなえたとき、読書は本当に身につくのでしょう。
この章句が説くこと
読書謙虚学問虚心実践
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