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慎思録 / 巻之五

古者君子之處事也。其神靜氣定。故從容不迫。不動聲色。而處置得精詳。此因其氣宇淸明安重。與涵養純厚也。躬爲不善。而求爲人所容者。不肖之人。可恥之甚也。大丈夫可容人。而不可爲人所容。以此也。

新字:古者君子之処事也。其神静気定。故従容不迫。不動声色。而処置得精詳。此因其気宇清明安重。与涵養純厚也。躬為不善。而求為人所容者。不肖之人。可恥之甚也。大丈夫可容人。而不可為人所容。以此也。

書き下し

古の君子の事に処するや、其の神静かに気定まる。故に従容として迫らず、声色を動かさずして、処置精詳なるを得。此れ其の気宇清明安重にして、涵養純厚なるに因るなり。躬ら不善を為して、人に容れらるることを求むる者は、不肖の人にして、恥づべきの甚だしきなり。大丈夫は人を容るべくして、人に容れらるべからずとは、此を以てなり。

現代語訳

昔の君子が物事を処理するときは、精神が静かで気が落ち着いていました。だからゆったりとして慌てず、声や顔色を変えずに、処置が細やかで行き届いていたのです。これは心の器が澄んで落ち着いて重々しく、修養が純粋で厚かったからです。自分から善くないことをしておきながら、人に大目に見てもらおうとする者は、愚かな人であり、はなはだ恥ずべきことです。一人前の男子は人を受け入れるべきで、人に受け入れてもらう側になってはならない、というのはこのためです。

解説

前半は、落ち着いて事にあたる君子の姿を描きます。声色を動かさないことは『中庸』末章の「声色の民を化するに於けるは末なり」にも通じ、朱子学で重んじる涵養、すなわち日々の静かな修養の成果として説かれます。後半は、自分の非を棚に上げて人の寛容に甘える者を戒めます。益軒は、人を受け入れる側に立つことこそ一人前だと言います。慌てず騒がず仕事を処理できる人は、日ごろから心を整えているものです。甘える側でなく許す側に立てる自分であることを目指したいものです。

この章句が説くこと

涵養度量君子

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