幽夢影 / 巻下・恥の一字は君子を治む
「恥」之一字,所以治君子;「痛」之一字,所以治小人。
書き下し
「恥」の一字は、君子を治むる所以なり。「痛」の一字は、小人を治むる所以なり。
現代語訳
「恥」という一字は、君子を正すためのものです。「痛」という一字は、小人を正すためのものです。
解説
人を正す手段は、相手によって違うと説いた対句です。君子は恥を知っているので、自分の過ちを恥じる心に訴えれば、おのずと行いを改めます。小人は恥を感じにくいので、罰によって痛い目にあわせなければ改まらないというのです。『論語』には、徳と礼で導けば民は恥を知って正しくなるが、法と刑で縛れば民は罰を逃れるだけで恥を知らない、という言葉があります。張潮はその両面を、恥と痛という二字にまとめています。友人の張竹坡は、君子が恥で小人を治めれば小人も恥を知って正しくなると、希望のある読み方を示しています。人を導く立場にある人には、相手に合った働きかけを考えさせる一則です。
この章句が説くこと
恥君子小人治政修身
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