武治提要 / 武勇・第3段
武勇を寬大にして、其操を長久にするの道、第一度量なり。度量とは襟宇の廣なり。小事に怒を生じ、小利に喜を起し、小害を懼るゝごときときは、終に外物の爲に奪はる、何ぞ天下の大任を負て遠に行の力を得んや。患を忍、難を凌て、これに屈せず、鴻業の大成を期するものは、大丈夫の度量也。第二恥を知にあり。人君は吾に對する人なきを以て、戒愼うすきときは、必ず閨門に怠を生じ、竊に入口の戶々にあることを不知、嘲の後生に傳はらんことを忘る、これ三才に對して恥を不知ばなり。恥を知の要、義理の明辨にあり。凡此二のものを能知て、篤く身に行はゞ、竟に武勇の眞を得べし。短衣蓬頭にして、劔を撫し、人を切ること草蕪を刈がごとく、鼎鑊前にのぞみ、刀鋸後にあつて、其神色常を失はさるがごとき、亦武勇の一事也。白刃は踐べく、中庸は能すべからざるの謂にして、武將の勇となすにたらず、これ刺客の勇也。
新字:武勇を寛大にして、其操を長久にするの道、第一度量なり。度量とは襟宇の広なり。小事に怒を生じ、小利に喜を起し、小害を懼るゝごときときは、終に外物の為に奪はる、何ぞ天下の大任を負て遠に行の力を得んや。患を忍、難を凌て、これに屈せず、鴻業の大成を期するものは、大丈夫の度量也。第二恥を知にあり。人君は吾に対する人なきを以て、戒慎うすきときは、必ず閨門に怠を生じ、窃に入口の戸々にあることを不知、嘲の後生に伝はらんことを忘る、これ三才に対して恥を不知ばなり。恥を知の要、義理の明弁にあり。凡此二のものを能知て、篤く身に行はゞ、竟に武勇の真を得べし。短衣蓬頭にして、剣を撫し、人を切ること草蕪を刈がごとく、鼎鑊前にのぞみ、刀鋸後にあつて、其神色常を失はさるがごとき、亦武勇の一事也。白刃は践べく、中庸は能すべからざるの謂にして、武将の勇となすにたらず、これ刺客の勇也。
書き下し
武勇を寬大にして、其操を長久にするの道、第一度量なり。度量とは襟宇の廣なり。小事に怒を生じ、小利に喜を起し、小害を懼るゝごときときは、終に外物の爲に奪はる、何ぞ天下の大任を負て遠に行の力を得んや。患を忍、難を凌て、これに屈せず、鴻業の大成を期するものは、大丈夫の度量也。第二恥を知にあり。人君は吾に對する人なきを以て、戒愼うすきときは、必ず閨門に怠を生じ、竊に入口の戶々にあることを不知、嘲の後生に傳はらんことを忘る、これ三才に對して恥を不知ばなり。恥を知の要、義理の明辨にあり。凡此二のものを能知て、篤く身に行はゞ、竟に武勇の眞を得べし。短衣蓬頭にして、劔を撫し、人を切ること草蕪を刈がごとく、鼎鑊前にのぞみ、刀鋸後にあつて、其神色常を失はさるがごとき、亦武勇の一事也。白刃は踐べく、中庸は能すべからざるの謂にして、武將の勇となすにたらず、これ刺客の勇也。
現代語訳
武勇を寛く大きくし、その操を長く保つ道は、第一に度量です。度量とは、胸のうちの広さのことです。小さな事に怒り、小さな利に喜び、小さな害を恐れるようでは、最後は外の物に奪われてしまいます。それで、どうして天下の大任を負い、遠くまで行く力を得られるでしょうか。患いを忍び、難を越えて、それに屈せず、大きな事業の成就を期す者こそ、大丈夫の度量です。第二は恥を知ることです。君主は自分に向き合う人がいないので、戒め慎む心が薄いと、必ず奥向きで怠りが生じます。ひそかに入り口の戸ごとに人がいることに気づかず、その嘲りが後世に伝わることを忘れます。これは天地人に対して恥を知らないからです。恥を知る要は、義理をはっきり見分けることにあります。この二つをよく知り、篤く身に行えば、ついに武勇の真を得ることができます。短い衣に乱れ髪で剣を撫し、人を斬ること草を刈るようで、鼎や鑊が前に迫り、刀や鋸が後ろにあっても、顔色を常のまま変えないというのも、確かに武勇の一つの姿です。ただ、白刃を踏むことはできても中庸はなし得ないと言うとおり、これは武将の勇とするには足りず、刺客の勇です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之五古の君子の事に処するや、其の神静かに気定まる。故に従容として迫らず、声色を動かさずして、処置精詳なるを得。此れ其の気宇清明安重にして、涵養純厚なるに因るなり。躬ら不善を為して、人に容れらるることを求むる者は、不肖の人にして、恥づべきの甚だしきなり。大丈夫は人を容るべくして、人に容れらるべからずとは、此を以てなり。
-
『大和俗訓』巻之六・躬行上一中庸曰く、言は行を顧み、行は言を顧みる。言ふ意は、言と行とは相違なかるべし。言を出すに、わが身の行をかへりみて言ふべし。事を行ふには、己が言をかへりみて行ふべし。言ふ事はやすく、行ふ事はかたし。故に言はひかへていひ、行は言より過すべし。如此すれば、言と行と相違なし。口にいふ事あまり有りて、身に行ふ事足らざるは、是言行のそむけるなり。恥づべし。
-
『春秋左氏伝』僖公二十三年 天の興す所、誰か廃せん子玉之を殺さんと請ふ。楚子曰く、「晉の公子は廣くして儉、文にして禮有り。其の從者は肅にして寬、忠にして能く力む。晉侯親無く、外內之を惡む。吾聞く、姬姓は唐叔の後、其の後に衰ふる者なりと。其れ將に晉の公子に由らんか。天將に之を興さんとす、誰か能く之を廢せん。天に違へば必ず大咎有り」と。乃ち諸を秦に送る。秦伯女五人を納る、懷嬴與る。匜を奉じて沃盥す、既にして之を揮ふ。怒りて曰く、「秦・晉は匹なり、何を以て我を卑しむる」と。公子懼れ、服を降して囚す。他日、公之を享す。子犯曰く、「吾衰の文なるに如かず、請ふ衰をして從はしめん」と。公子《河水》を賦し、公《六月》を賦す。趙衰曰く、「重耳賜を拜せよ」と。公子降りて、拜稽首す。公一級を降りて辭す。衰曰く、「君天子を佐くる所以の者を稱げて重耳に命ず、重耳敢へて拜せざらんや」と。
-
『酔古堂剣掃』集醒・內は精明にして外は渾厚好醜の心太だ明らかなれば、則ち物契はず。賢愚の心太だ明らかなれば、則ち人親しまず。須らく是れ內は精明にして、外は渾厚、好醜をして兩つながら其の平を得しめ、賢愚をして共に其の益を受けしむべし。纔かに是れ生成の德量なり。
-
史記 項羽本紀其の後に最(あつ)まりて、郎中騎楊喜、騎司馬呂馬童、郎中呂勝・楊武各々其の一体を得たり。五人共に其の体を会するに、皆是なり。故に其の地を分かちて五と為し、呂馬童を封じて中水侯と為し、王翳を封じて杜衍侯と為し、楊喜を封じて赤泉侯と為し、楊武を封じて呉防侯と為し、呂勝を封じて涅陽侯と為す。項王已に死し、楚の地皆漢に降る、独り魯のみ下らず。漢乃ち天下の兵を引きて之を屠らんと欲す、其の礼義を守り、主の為に節に死するが為に、乃ち項王の頭を持ちて魯に視(しめ)す、魯の父兄乃ち降る。始め、楚の懐王初めて項籍を封じて魯公と為す、其の死するに及びて、魯最後に下る、故に魯公の礼を以て項王を穀城に葬る。漢王為に哀を発し、之に泣きて去る。諸々の項氏の枝属、漢王皆誅せず。乃ち項伯を封じて射陽侯と為す。桃侯・平皋侯・玄武侯は皆項氏なり、姓劉氏を賜ふ。太史公曰く、吾之を周生に聞く、曰く「舜の目は蓋し重瞳子なり」と、又聞く項羽も亦重瞳子なりと。羽豈に其の苗裔ならんや。何ぞ興ることの暴かなるや。夫れ秦其の政を失ひ、陳渉難を首め、豪傑蠭起し、相与に并び争ふこと、勝げて数ふべからず。
-
『格言聯璧』持躬類・海闊くして魚の躍るに從ふ海闊くして魚の躍るに從ひ、天空しくして鳥の飛ぶに任す、大丈夫に非ざれば此くの如き度量なる能はず。 衣を千仞の岡に振ひ、足を萬里の流れに濯ふ、大丈夫に非ざれば此の氣節有る能はず。 珠藏れて澤自ら媚しく、玉韞まれて山輝きを含む、大丈夫に非ざれば此の蘊藉有る能はず。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る