慎思録 / 巻之五
衞玠曰。人有不及。可以情恕。非意相干。可以理遣。又古人詩曰。海闊從魚躍。天空任鳥飛。有此度量。而可以處世接人。則自然無怨尤。
新字:衛玠曰。人有不及。可以情恕。非意相干。可以理遣。又古人詩曰。海闊従魚躍。天空任鳥飛。有此度量。而可以処世接人。則自然無怨尤。
書き下し
衛玠曰く、人及ばざる有らば、情を以て恕すべし。意に非ずして相干さば、理を以て遣るべし、と。又古人の詩に曰く、海闊くして魚の躍るに従せ、天空しくして鳥の飛ぶに任す、と。此の度量有りて、以て世に処り人に接すべくんば、則ち自然に怨尤無し。
現代語訳
衛玠は「人に至らないところがあれば、情によって許しなさい。悪意なく自分に障ることがあれば、道理によって気にかけずに流しなさい」と言いました。また昔の人の詩に「海は広く、魚が躍るにまかせ、空は果てしなく、鳥が飛ぶにまかせる」とあります。このような度量をもって世に処し人と接することができれば、おのずと人を恨んだり天をとがめたりすることはなくなります。
解説
衛玠は西晋の美男子として知られた人物で、その温和な人柄を示すこの言葉は『晋書』衛玠伝に見えます。人が至らないのは情で許し、わざとでない失礼は理屈で割り切って流す。海と空の詩句は禅語としても知られる対句で、何ものも受け入れる広い心を表します。益軒はこの二つを並べ、度量の広さが人間関係の怨みを消すと説きます。職場で同僚のミスや心ない一言に苛立つとき、相手に悪意があったかどうかを考えるだけで、心の負担はずいぶん軽くなるはずです。
この章句が説くこと
度量恕怨み寛容処世
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