師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之五

鬼神是陰陽之靈。是可爲正解。葢二氣之變化。自是隱微。而能屈伸者也。故曰。見之而不視。聞之而不聽。然程子曰。鬼神者。造化之迹。是姑即其粗迹易見者而示其實而已。其迹者。鬼神之所爲。便往來屈伸所發見。是也。其理難見。其迹易見。故卽其迹示之而巳。非正迹爲鬼神也。世人多以屈伸言鬼神。不知屈伸是陰陽之迹。其所以能爲屈伸者。是鬼神。古人曰。鬼者歸也。神者伸也。是亦卽其迹而示其實耳。

新字:鬼神是陰陽之霊。是可為正解。葢二気之変化。自是隠微。而能屈伸者也。故曰。見之而不視。聞之而不聴。然程子曰。鬼神者。造化之迹。是姑即其粗迹易見者而示其実而已。其迹者。鬼神之所為。便往来屈伸所発見。是也。其理難見。其迹易見。故即其迹示之而巳。非正迹為鬼神也。世人多以屈伸言鬼神。不知屈伸是陰陽之迹。其所以能為屈伸者。是鬼神。古人曰。鬼者帰也。神者伸也。是亦即其迹而示其実耳。

書き下し

鬼神は是れ陰陽の霊なり。是れ正解と為すべし。蓋し二気の変化、自ら是れ隠微にして、能く屈伸する者なり。故に曰く、之を見れども視えず、之を聞けども聴こえず、と。然るに程子曰く、鬼神は造化の迹なり、と。是れ姑く其の粗迹の見易き者に即きて其の実を示すのみ。其の迹とは、鬼神の為す所、便ち往来屈伸の発見する所、是れなり。其の理は見難く、其の迹は見易し。故に其の迹に即きて之を示すのみ。正に迹を鬼神と為すに非ざるなり。世人多く屈伸を以て鬼神を言ふ。屈伸は是れ陰陽の迹にして、其の能く屈伸を為す所以の者、是れ鬼神なることを知らず。古人曰く、鬼は帰なり、神は伸なり、と。是れ亦其の迹に即きて其の実を示すのみ。

現代語訳

鬼神とは陰陽の霊妙な働きです。これを正しい解釈とすべきです。そもそも陰陽二気の変化は、それ自体かすかで見えにくく、よく縮んだり伸びたりするものです。だから「これを見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえない」と言うのです。ところが程子は「鬼神は造化の迹である」と言いました。これはひとまず、見えやすい粗い痕跡に即して、その実体を示したにすぎません。その迹とは、鬼神のなす所、つまり行き来し縮み伸びする働きが現れたものがそれです。その理は見えにくく、その迹は見えやすい。だから迹に即して示したにすぎず、迹そのものを鬼神としたのではありません。世の人は多く屈伸で鬼神を説明しますが、屈伸は陰陽の迹であって、屈伸させている働きこそが鬼神であることを知りません。昔の人が「鬼は帰なり、神は伸なり」と言ったのも、迹に即して実体を示したにすぎないのです。

解説

朱子学では、鬼神を霊魂や神仏ではなく、陰陽二気の働きとして理解します。「鬼神は造化の迹」は程頤の言葉、「二気の良能」は張載の言葉で、ともに朱子の『中庸章句』第十六章に引かれます。見ようとしても見えず聞こうとしても聞こえないというのも同章の語です。益軒は、目に見える屈伸はあくまで痕跡であり、それを起こしている働きこそが鬼神だと区別します。現象とそれを生む原因を取り違えないという考え方は、物事の表面の動きだけを見て本質を見誤らないための、思考の訓練にもなります。

この章句が説くこと

鬼神陰陽屈伸

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる