呻吟語 / 外篇・品藻・惟だ其の理のみ
有勢不可為而猶為之者,惟其理而已。知此則三仁可與五臣比事功,孔子可與堯、舜較政治。
新字:有勢不可為而猶為之者,惟其理而已。知此則三仁可与五臣比事功,孔子可与堯、舜較政治。
書き下し
勢の為す可からずして猶ほ之を為す者有るは、惟だ其の理のみ。此を知らば則ち三仁は五臣と事功を比す可く、孔子は堯・舜と政治を較ぶ可し。
現代語訳
勢いとしてなし得ないのに、なおそれをする者があるのは、ただ理によってです。これが分かれば、殷の三人の仁者は舜の五臣と功績を比べられ、孔子は堯舜と政治を比べられます。
解説
前の段を受けて、成らなくてもなす理由を理に置きます。そして評価の仕方が示されます。理によって行ったのなら、成果が違っても比べられる。殷の三仁も孔子も、実際には治世を残していません。それでも成した者と並ぶとされる。成果主義を外した評価軸が示された一段です。成果主義を外した評価軸が、ここで示されています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
理成否評価三仁孔子
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