慎思録 / 巻之五
心有所憂患欝悶。而不安。如異學。以制心斷情爲勤。欲强斥之。是告子之學。冥然無覺。悍然不顧者也。如世俗縱酒色之快樂。以忘其憂苦。是衆人之所爲也。二者倶不知樂天安命。徒欲强排遣之。亦難哉。
新字:心有所憂患欝悶。而不安。如異学。以制心断情為勤。欲強斥之。是告子之学。冥然無覚。悍然不顧者也。如世俗縦酒色之快楽。以忘其憂苦。是衆人之所為也。二者倶不知楽天安命。徒欲強排遣之。亦難哉。
書き下し
心に憂患欝悶する所有りて安からず。異学の如きは、心を制し情を断つを以て勤めと為し、強ひて之を斥けんと欲す。是れ告子の学、冥然として覚無く、悍然として顧みざる者なり。世俗の如きは、酒色の快楽を縦にして、以て其の憂苦を忘る。是れ衆人の為す所なり。二者倶に天を楽しみ命に安んずることを知らず、徒に強ひて之を排遣せんと欲す。亦難いかな。
現代語訳
心に心配や鬱屈があって落ち着かないとき、異端の学問は、心を抑え感情を断つことを修行として、無理に払いのけようとします。これは告子の学問で、ぼんやりとして自覚がなく、頑なにかえりみないものです。世間の人は、酒色の快楽にふけってその憂いや苦しみを忘れようとします。これは普通の人のやることです。どちらも天を楽しみ天命に安んじることを知らず、ただ無理に憂いを押しのけようとしているのです。それもまた難しいことです。
解説
告子は『孟子』に登場する論敵で、心を動かさないことを強いて守ったとされます。「冥然として覚無く、悍然として顧みず」は朱子が異端を評した言い方です。益軒は、憂いを力で抑え込む禅的な修行も、酒や遊びで紛らわす世俗のやり方も、根本の解決にならないと言います。「天を楽しみ命を知る、故に憂へず」は『易経』繋辞上伝の言葉です。晩年に『楽訓』を書いた益軒らしく、道理を知って境遇を受け入れることに心の安らぎを求めます。ストレスへの向き合い方を考えるうえで示唆に富む一条です。
この章句が説くこと
憂い楽天安命心告子
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