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慎思録 / 巻之五

禮樂者。聖人敎人之具。故曰。禮樂不可斯須去身。葢禮樂有本有文。禮樂之文雖繁多。然禮之本是一箇之敬。樂之本是一箇之和。禮表之外。則爲制度品節。樂表之外。則爲詠歌舞蹈。所謂禮樂之文也。無本則不立。無文則不行。故禮樂兼本與文而爲全備。禮勝則離。故要有樂。樂勝則流。故要有禮。二者可相濟。不可闕一也。

新字:礼楽者。聖人教人之具。故曰。礼楽不可斯須去身。葢礼楽有本有文。礼楽之文雖繁多。然礼之本是一箇之敬。楽之本是一箇之和。礼表之外。則為制度品節。楽表之外。則為詠歌舞蹈。所謂礼楽之文也。無本則不立。無文則不行。故礼楽兼本与文而為全備。礼勝則離。故要有楽。楽勝則流。故要有礼。二者可相済。不可闕一也。

書き下し

礼楽は、聖人の人に教ふるの具なり。故に曰く、礼楽は斯須も身を去るべからず、と。蓋し礼楽に本有り文有り。礼楽の文は繁多なりと雖も、然れども礼の本は是れ一箇の敬、楽の本は是れ一箇の和なり。礼、之を外に表せば、則ち制度品節と為り、楽、之を外に表せば、則ち詠歌舞蹈と為る。所謂礼楽の文なり。本無ければ則ち立たず、文無ければ則ち行はれず。故に礼楽は本と文とを兼ねて全備と為す。礼勝れば則ち離る。故に楽有るを要す。楽勝れば則ち流る。故に礼有るを要す。二者相済ふべく、一を闕くべからざるなり。

現代語訳

礼と楽は、聖人が人を教える道具です。だから「礼楽はしばらくも身から離してはならない」と言われます。そもそも礼楽には本質と形式があります。礼楽の形式は数多くありますが、礼の本質はただ一つの敬、楽の本質はただ一つの和です。礼が外に表れると制度や作法の区別となり、楽が外に表れると詩歌や舞踊となります。これがいわゆる礼楽の形式です。本質がなければ成り立たず、形式がなければ行われません。だから礼楽は本質と形式を兼ねてこそ完全なのです。礼が勝ちすぎると人は離れてしまうので楽が必要です。楽が勝ちすぎると流れてしまうので礼が必要です。この二つは互いに助け合うべきもので、一つも欠いてはなりません。

解説

「礼楽は斯須も身を去るべからず」と「礼勝れば則ち離れ、楽勝れば則ち流る」は、いずれも『礼記』楽記の言葉です。益軒は礼楽を本と文に分け、礼の本は敬、楽の本は和だと要約します。敬は朱子学の修養の中心概念です。けじめだけの組織は人の心が離れ、和気だけの組織はだらしなく流れる。この指摘はそのまま現代の職場にも当てはまります。規律と親しみ、形と心の両方を備えてこそ人の集まりは健やかに保たれる、という均衡の知恵を学べる一条です。

この章句が説くこと

本末

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