慎思録 / 巻之五
老莊之說。固與聖人之道相懸絕。論之不可不嚴。然傷太嚴。則不能平直而中其病。宋儒之辨老莊。往往有此病。其所謗與彼書之本意不相合者。亦多矣。恐不免爲寃枉。爲學者。所以不心服也。然程朱之辨老莊。亦甚嚴者。是恐有深意。學者之所宜思也。
新字:老荘之説。固与聖人之道相懸絶。論之不可不厳。然傷太厳。則不能平直而中其病。宋儒之弁老荘。往往有此病。其所謗与彼書之本意不相合者。亦多矣。恐不免為冤枉。為学者。所以不心服也。然程朱之弁老荘。亦甚厳者。是恐有深意。学者之所宜思也。
書き下し
老荘の説は、固より聖人の道と相懸絶す。之を論ずること厳ならざるべからず。然れども太だ厳なるに傷めば、則ち平直にして其の病に中ること能はず。宋儒の老荘を辨ずる、往往此の病有り。其の謗る所、彼の書の本意と相合はざる者も亦多し。恐らくは寃枉たるを免れず。学者の心服せざる所以なり。然れども程朱の老荘を辨ずる、亦甚だ厳なる者は、是れ恐らくは深意有らん。学者の宜しく思ふべき所なり。
現代語訳
老子・荘子の説は、もちろん聖人の道とはかけ離れています。これを論じるには厳しくなければなりません。しかし厳しすぎる弊害に陥ると、公平で素直に論じてその欠点に的中させることができません。宋の儒者が老荘を論駁するとき、しばしばこの弊害があります。その非難するところが、老荘の書の本来の意味と合わないものも多いのです。おそらく無実の罪を着せることを免れないでしょう。これが学ぶ者が心から納得しない理由です。しかし程子・朱子が老荘を論駁するのが非常に厳しいのは、おそらく深い意図があるのでしょう。学ぶ者はよく考えるべきです。
解説
朱子学は仏教や老荘を異端として退けましたが、益軒は宋儒の批判が相手の本意を取り違えている場合が多いと率直に指摘します。批判は相手を正確に理解してこそ説得力を持ち、的外れな非難はかえって人を納得させません。一方で益軒は、程子・朱子の厳しさには異端が人心を惑わすことへの警戒という深い意図があったのだろうとも考えます。論争や議論で相手を批判するとき、まず相手の主張を正確に理解しているか。この当たり前の姿勢の大切さを、学問の世界から教えてくれる一条です。
この章句が説くこと
老荘異端批判公平学問
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