洗心洞箚記 / 箚記自述
余對曰。誠然誠然。而子等以此五者爲先賢之成語乎。又謂我之創說耶。我之創說。則宜有後慮也。先賢之成語。而吾特發揮之焉耳。則又何足患哉。況此非如刮目釋一經之比。是以未嘗有賊經與貽儒先解經之累之罪也。要一家言也已矣。故縱百毀千謗萃於我。亦何以避。必有益於我者矣。世之敎我良師友。莫過於其百毀千謗。是余望乎人也尙矣。子等決梓之。於是我社之二三子捐資遂刻諸家塾。不日工竣。因題于簡端。說其所以舍彼梓此之由。而卷分上下二編云。
新字:余対曰。誠然誠然。而子等以此五者為先賢之成語乎。又謂我之創説耶。我之創説。則宜有後慮也。先賢之成語。而吾特発揮之焉耳。則又何足患哉。況此非如刮目釈一経之比。是以未嘗有賊経与貽儒先解経之累之罪也。要一家言也已矣。故縦百毀千謗萃於我。亦何以避。必有益於我者矣。世之教我良師友。莫過於其百毀千謗。是余望乎人也尚矣。子等決梓之。於是我社之二三子捐資遂刻諸家塾。不日工竣。因題于簡端。説其所以舎彼梓此之由。而巻分上下二編云。
書き下し
余対へて曰く、誠に然り誠に然り。而るに子等此の五者を以て先賢の成語と為すか。又我の創説と謂ふか。我の創説ならば、則ち宜しく後の慮り有るべし。先賢の成語にして、吾特に之を発揮するのみならば、則ち又何ぞ患ふるに足らんや。況んや此れ刮目の一経を釈するの比の如きに非ず。是を以て未だ嘗て経を賊ひ儒先の経を解するの累ひを貽すの罪有らざるなり。要は一家の言なるのみ。故に縦ひ百毀千謗我に萃まるとも、亦何を以てか避けん。必ず我に益有る者あらん。世の我を教ふる良き師友は、其の百毀千謗に過ぐる莫し。是れ余が人に望むこと尚し。子等決して之を梓せよと。是に於て我が社の二三子資を捐てて遂に諸を家塾に刻す。日ならずして工竣る。因りて簡端に題して、其の彼を舎てて此を梓する所以の由を説き、而して巻は上下二編に分かつと云ふ。
現代語訳
私は答えた。「まことにその通りだ。しかし君たちは、この五つを先賢がすでに言った言葉だと思うか、それとも私の創説だと思うか。私の創説ならば、後々のことを心配すべきだろう。しかし先賢の言葉を私が特に押し広げて明らかにしたにすぎないのなら、何を心配することがあろうか。まして、これは『刮目』で一つの経を解釈するのとは比べものにならない。だから経を損なったり先儒の経解に累を及ぼしたりする罪はない。要するに一個人の言にすぎない。だからたとえ無数の非難誹謗が私に集まろうとも、どうして避けようか。きっと私に益をもたらすものがあるはずだ。世の中で私を教えてくれる良き師友として、その無数の非難誹謗に勝るものはない。それは私がずっと人に望んできたことである。君たち、思い切って彫りなさい。」こうして私の塾の二三人が費用を出し、ついに家塾で版木に彫った。日を経ずして工事が終わった。そこで巻頭に記して、あちらをやめてこちらを彫ったわけを説き、巻を上下二編に分けたという次第である。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』初編・実のなき文学学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめ、ずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合わぬ証拠なり。
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