酔古堂剣掃 / 集靈・更に新說に附會すべからず
看書只要理路通透,不可拘泥舊說,更不可附會新說。
新字:看書只要理路通透,不可拘泥旧説,更不可附会新説。
書き下し
書を看るは只だ理路の通透を要す、舊說に拘泥すべからず、更に新說に附會すべからず。
現代語訳
書物を読むときは、ただ筋道がすっきり通ることを求めるべきです。古い説にこだわってはならず、なおさら新しい説にこじつけてはなりません。
解説
読書の心構えを、古い説と新しい説の両面から戒めた一句です。理路は筋道、通透は隅々まで通って明らかなことです。拘泥は一つのことにこだわって融通がきかないこと、附會は無理にこじつけることです。昔からの注釈に縛られると本文そのものが見えなくなり、流行の新説に合わせようとすると、自分の都合のよいように読みゆがめてしまいます。とくに新説へのこじつけをより強く戒めているのは、新しさを求めるあまり筋の通らない解釈が生まれやすいからでしょう。情報があふれる今、古い常識にも目新しい説にも振り回されず、自分の頭で筋道を確かめる読み方が求められます。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
読書学問思考批判中庸
関連する章句
-
『学問のすゝめ』初編・実のなき文学学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめ、ずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合わぬ証拠なり。
-
『洗心洞箚記』箚記自述余対へて曰く、誠に然り誠に然り。而るに子等此の五者を以て先賢の成語と為すか。又我の創説と謂ふか。我の創説ならば、則ち宜しく後の慮り有るべし。先賢の成語にして、吾特に之を発揮するのみならば、則ち又何ぞ患ふるに足らんや。況んや此れ刮目の一経を釈するの比の如きに非ず。是を以て未だ嘗て経を賊ひ儒先の経を解するの累ひを貽すの罪有らざるなり。要は一家の言なるのみ。故に縦ひ百毀千謗我に萃まるとも、亦何を以てか避けん。必ず我に益有る者あらん。世の我を教ふる良き師友は、其の百毀千謗に過ぐる莫し。是れ余が人に望むこと尚し。子等決して之を梓せよと。是に於て我が社の二三子資を捐てて遂に諸を家塾に刻す。日ならずして工竣る。因りて簡端に題して、其の彼を舎てて此を梓する所以の由を説き、而して巻は上下二編に分かつと云ふ。
-
『養生訓』巻第六・択医かかる草医は、医学すれば却て療治に拙しと云ひまはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道の、子としてあはれみ給ふ万民の、至りておもき生命をうけとり、世間きはまりなき病を治せんとして、如此なる卑狭なる術を行ふは、云ふかひなし。
-
『童子問』卷上童子曰く、甚だしいかな学問の大なるや。願はくは其の詳を聞かんと。曰く、宋明の儒先皆性を尽くすを以て極則と為して、学問の功の益大なることを知らず。殊に知らず、己の性は限り有りて、天下の道は窮まり無きことを。限り有るの性を以て、窮まり無きの道を尽くさんと欲す。則ち学問の功に非ざれば、得べからざるなり。此れ孔門の専ら教を貴ぶ所以なり。中庸に曰く、唯だ天下の至誠のみ、能く其の性を尽くすと為す。能く其の性を尽くせば、則ち能く人の性を尽くす。能く人の性を尽くせば、則ち能く物の性を尽くす。能く物の性を尽くせば、則ち以て天地の化育を賛くべし。以て天地の化育を賛くべければ、則ち以て天地と参なるべしと。所謂能く其の性を尽くすとは、吾が性の分内に就きて言ふ。其の人物の性を尽くして、天地の化育を賛くるに至りては、則ち亦た我が性を尽くすの推しと雖も、豈に徒らに我が性を尽くすのみならんや。夫れ人の我に与ける、体を異にし気を殊にして、其の疾痛病癢、皆相関らず。況んや人の物に与ける、類を異にし形を殊にす、何ぞ相干渉せん。財成輔相して天地の道に、万物をして各其の性を遂げしむと謂ふは、則ち可なり。之を我が性を尽くすと謂ひて、可ならんや。然らば則ち唯だ我が性を尽くすのみにして、学問の功に由るに非ずんば、得べからざること明らかなり。
-
『養生訓』巻第四・慎色慾此の法、孫思邈後世に教へし秘訣にて、明かに千金方にあらはせども、後人其術の保養に益ありて害なき事をしらず。丹渓が如き大医すら偏見にして、孫真人が教を立てし本意を失ひて信ぜず。此良術をそしりて曰、聖賢の心神仙の骨なくんば未だ為し易からず。もし房中を以て補とせば、人を殺す事多からんと、格致余論にいへり。聖賢神仙は世に難有ければ、丹渓が説の如くば此法は行ひがたし。丹渓が説うたかふべき事猶多し。才学高博にして識見偏僻なりと云ふべし。
-
言志四録・言志録 第百九十九条 心の智愚は学びて変ずべし人の受くる所の気、其の厚薄の分数は、大抵相若く。躯の大小、寿の脩短、力の強弱、心の智愚の如き、大いに相遠き者無し。其の間一処の受くること厚き者有れば、皆之を非常と謂ふ。非常は則ち姑く之を置く。常人の如きに就きては、躯と寿と力との分数は、之を奈何ともすべからず。独り心の智愚に至りては、学びて之を変化すべし。故に博く学び、審かに問ひ、慎みて思ひ、明らかに弁じ、篤く行ふ。人一たび十たびすれば、己は之を百たび千たびす。果たして此の道を能くせば、愚なりと雖も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。以て漸く非常の域に進むべし。蓋し此の理有り。但だ常人は多く遊惰にして然ること能はず。豈に亦天に算籌有るか。