学問のすゝめ / 初編・実のなき文学
学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
書き下し
学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめ、ずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合わぬ証拠なり。
現代語訳
学問とは、ただ難しい字を知り、読みにくい古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るというような、世の中で実のない文学を言うのではありません。これらの文学もおのずと人の心を喜ばせ、ずいぶん重宝なものではありますが、昔から世間の儒者や国学者が言うほど、そこまで崇め尊ぶべきものではありません。昔から漢学者に家計のやりくりが上手な者は少なく、和歌が上手で商売に巧みな町人もまれです。このため心ある町人や百姓は、自分の子が学問に精を出すのを見て、やがて身代を潰すのではないかと親心に心配する者があります。無理もないことです。つまるところ、その学問が実から遠く、日常の役に立たない証拠です。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『洗心洞箚記』箚記自述余対へて曰く、誠に然り誠に然り。而るに子等此の五者を以て先賢の成語と為すか。又我の創説と謂ふか。我の創説ならば、則ち宜しく後の慮り有るべし。先賢の成語にして、吾特に之を発揮するのみならば、則ち又何ぞ患ふるに足らんや。況んや此れ刮目の一経を釈するの比の如きに非ず。是を以て未だ嘗て経を賊ひ儒先の経を解するの累ひを貽すの罪有らざるなり。要は一家の言なるのみ。故に縦ひ百毀千謗我に萃まるとも、亦何を以てか避けん。必ず我に益有る者あらん。世の我を教ふる良き師友は、其の百毀千謗に過ぐる莫し。是れ余が人に望むこと尚し。子等決して之を梓せよと。是に於て我が社の二三子資を捐てて遂に諸を家塾に刻す。日ならずして工竣る。因りて簡端に題して、其の彼を舎てて此を梓する所以の由を説き、而して巻は上下二編に分かつと云ふ。
-
『養生訓』巻第六・択医かかる草医は、医学すれば却て療治に拙しと云ひまはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道の、子としてあはれみ給ふ万民の、至りておもき生命をうけとり、世間きはまりなき病を治せんとして、如此なる卑狭なる術を行ふは、云ふかひなし。
-
『酔古堂剣掃』集靈・更に新說に附會すべからず書を看るは只だ理路の通透を要す、舊說に拘泥すべからず、更に新說に附會すべからず。
-
『養生訓』巻第四・慎色慾此の法、孫思邈後世に教へし秘訣にて、明かに千金方にあらはせども、後人其術の保養に益ありて害なき事をしらず。丹渓が如き大医すら偏見にして、孫真人が教を立てし本意を失ひて信ぜず。此良術をそしりて曰、聖賢の心神仙の骨なくんば未だ為し易からず。もし房中を以て補とせば、人を殺す事多からんと、格致余論にいへり。聖賢神仙は世に難有ければ、丹渓が説の如くば此法は行ひがたし。丹渓が説うたかふべき事猶多し。才学高博にして識見偏僻なりと云ふべし。
-
史記 孟子荀卿列伝荀卿は趙人。年五十にして始めて来たりて斉に游学す。騶衍の術は迂大にして閎弁、奭や文具はるも施し難し。淳于髡は久しく与に処れば、時に善言を得る有り。故に斉人頌して曰く、「天を談ずるは衍、竜を雕るは奭、轂を炙るは過(か)髡」と。田駢の属皆已に斉の襄王の時に死し、而して荀卿最も老師たり。斉尚ほ列大夫の欠を修む、而して荀卿三たび祭酒と為る。斉人或ひと荀卿を讒す、荀卿乃ち楚に適く、而して春申君以て蘭陵の令と為す。春申君死して荀卿廃せられ、因りて蘭陵に家す。李斯嘗て弟子と為り、已にして秦に相たり。荀卿は濁世の政、亡国乱君の相属き、大道を遂げずして巫祝を営み、禨祥を信じ、鄙儒の小拘、荘周等の如きのまた猾稽にして俗を乱すを嫉み、是に於いて儒・墨・道徳の行事の興壊を推し、序列して数万言を著して卒す。因りて蘭陵に葬る。
-
『慎思録』巻之五老荘の説は、固より聖人の道と相懸絶す。之を論ずること厳ならざるべからず。然れども太だ厳なるに傷めば、則ち平直にして其の病に中ること能はず。宋儒の老荘を辨ずる、往往此の病有り。其の謗る所、彼の書の本意と相合はざる者も亦多し。恐らくは寃枉たるを免れず。学者の心服せざる所以なり。然れども程朱の老荘を辨ずる、亦甚だ厳なる者は、是れ恐らくは深意有らん。学者の宜しく思ふべき所なり。