弁名 / 理氣人欲
氣古不言之。然論說之言則或言之。如易傳曰。陽氣潜藏。禮記曰。天地之盛德氣也。尊嚴氣也。是也。理氣對言者。乃昉自宋儒矣。其意謂陰陽之化。往者過。來者續。是氣也。往者過。來者續。而有萬古不易者存焉。是理也。是以生滅者爲氣。以不生滅者爲理。乃老氏二精粗之見。亦佛氏色空之說也。其所謂萬古不易者。亦唯四德之貞耳。更有元亨利。則是豈足以盡天道之全哉。故能默而識之者。精粗本末一以貫之。何必以理氣爲說乎。且其說必至謂天地積氣也。日月土石人物草木皆氣也。則其所謂氣者。亦非古言矣。如仁齋先生所謂天地之間一元氣而已。要之皆非聖人敬天之意。則君子所不取也。
新字:気古不言之。然論説之言則或言之。如易伝曰。陽気潜蔵。礼記曰。天地之盛徳気也。尊厳気也。是也。理気対言者。乃昉自宋儒矣。其意謂陰陽之化。往者過。来者続。是気也。往者過。来者続。而有万古不易者存焉。是理也。是以生滅者為気。以不生滅者為理。乃老氏二精粗之見。亦仏氏色空之説也。其所謂万古不易者。亦唯四徳之貞耳。更有元亨利。則是豈足以尽天道之全哉。故能黙而識之者。精粗本末一以貫之。何必以理気為説乎。且其説必至謂天地積気也。日月土石人物草木皆気也。則其所謂気者。亦非古言矣。如仁斎先生所謂天地之間一元気而已。要之皆非聖人敬天之意。則君子所不取也。
書き下し
気は古之を言はず。然れども論説の言には則ち或いは之を言ふ。易伝に「陽気潜蔵す」と曰ひ、礼記に「天地の盛徳の気なり、尊厳の気なり」と曰ふが如き、是れなり。理気対言する者は、乃ち宋儒より昉まる。其の意、陰陽の化、往く者は過ぎ、来たる者は続く、是れ気なり。往く者は過ぎ、来たる者は続きて、万古不易なる者有りて存す、是れ理なりと謂ふ。是れ生滅する者を以て気と為し、生滅せざる者を以て理と為す。乃ち老氏の精粗を二つにするの見、亦た仏氏の色空の説なり。其の所謂万古不易なる者も、亦た唯だ四徳の貞のみ。更に元亨利有り、則ち是れ豈に以て天道の全を尽くすに足らんや。故に能く黙して之を識る者は、精粗本末一以て之を貫く。何ぞ必ずしも理気を以て説を為さんや。且つ其の説、必ず天地は積気なり、日月土石人物草木皆気なりと謂ふに至る。則ち其の所謂気なる者も、亦た古言に非ず。仁斎先生の所謂天地の間は一元気のみの如きも、之を要するに皆聖人の天を敬するの意に非ず。則ち君子の取らざる所なり。
現代語訳
気は古くは言わなかった。しかし論説の言葉ではときに言う。『易』の伝に「陽の気が潜み隠れる」、『礼記』に「天地の盛んな徳の気である、尊く厳かな気である」とあるのがそれである。理と気を対にして言うのは、宋儒に始まる。その考えは、陰陽が変化して、去るものは過ぎ去り、来るものは続く、これが気であり、去るものが過ぎ、来るものが続く中に、永遠に変わらないものが存在する、これが理である、というのである。これは生滅するものを気とし、生滅しないものを理とするもので、老子の精と粗を二つに分ける見方であり、仏教の色と空の説でもある。そのいう永遠に変わらないものも、易の四徳のうち貞(ただしく固い)だけである。ほかに元・亨・利があるのだから、どうしてそれで天道の全体を尽くせようか。だから黙って会得できる者は、精も粗も本も末も一つに貫く。どうして理気で説明する必要があろうか。しかもその説は、必ず天地は気の積み重なりであり、日月・土石・人物・草木みな気であると言うに至る。それならそのいう気も、古い言葉ではない。仁斎先生の「天地の間は一元気だけである」というのも、要するにみな聖人が天を敬う意ではない。だから君子は取らないのである。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之四朱子曰く、天は陰陽五行を以て万物を化生す。気以て形を成して、理も亦た賦す、と。窃かに謂ふ、天は即ち理なり。陰陽五行の万物を化生する所以の者は、即ち理之をして然らしむるなり。然らば則ち此の天の字は、理を以て言ふを是と為す。此れ万物未だ生ぜざる時を以て言ふ。蓋し天地に生理有りて、万物之に資りて始めて生ず。道は必ず陰陽有りて具はる。苟も陰陽無ければ、則ち以て道と為すべからず。陰陽は乃ち天道物を生ずるの具なり。故に以と曰ふなり。気以て形を成して、理も亦た賦す、此れ万物既に生ずる時を以て言ふ。蓋し万物の既に形を成すや、理も亦た旧に依りて在り。是れ理も亦た賦すなり。
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『弁名』天命帝鬼神後世の学者、私智を逞しくして自ら用ふるを喜び、其の心傲然として自ら高しとし、先王孔子の教へに遵はず、其の臆に任せて以て之を言ふ。遂に「天は即ち理なり」の説有り。其の学は理を以て第一義と為す。其の意に謂へらく、聖人の道は唯だ理以て之を尽くすに足ると。此を以て其の見る所、而して「天は即ち理なり」と曰へば、則ち宜しく以て其の天を尊ぶの至りと為すべきが若し。然れども理は諸を其の臆に取れば、則ち亦た「天は我之を知る」と曰ふなり。豈に不敬の甚だしきに非ずや。故に其の説を究むれば、必ず天道は知無しに至りて極まる。程子曰く、「天地は心無くして化有り」と。豈に然らざらんや。易に曰く、「復に其れ天地の心を見るか」と。天の心有る、豈に彰彰著明ならずや。故に書に曰く、「惟れ天は親無し、克く敬するに惟れ親しむ」と。又た曰く、「天道は善に福し淫に禍す」と。易に曰く、「天道は盈を虧きて謙を益す」と。孔子曰く、「罪を天に獲れば、禱る所無し」と。豈に天心を以て之を言ふに非ずや。
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